17-02 弥勒信仰の伝来と『下生経』

17-02 弥勒信仰の伝来と『下生経』 2007/4/25(水) 中国に弥勒信仰が伝わったのはいつか。『弥勒への約束』(以下『約束』という)というお経があることは別のところで述べている。もとはインドの文語であるサンスクリットで書かれたものである。その翻訳は四…

17-03 『上生経』とは

17-03 『上生経』とは 2007/4/25(水) 弥勒について語る中国語訳の経典には、もうひとつ別の『観弥勒菩薩上生兜率天経』というものがある。略して『上生経』と呼ぶ。五世紀の中ごろ沮渠京声(そきょきょうしょう)が訳したと伝えられる。サンスクリット本は伝…

17-04 『上生経』の意味するもの

17-04 『上生経』の意味するもの 2007/4/25(水) 『上生経』においては、兜率天のありさまがくわしく語られる。兜率天にある宮殿のようすが語られ、そこにいる弥勒の姿かたちもくわしく語られる。そして、そのさまを心に思い描くことがしきりにすすめられてい…

17-05 弥勒信仰の変質と疑経

17-05 弥勒信仰の変質と疑経 2007/4/25(水) 弥勤信仰を変質させた疑経のひとつに『法滅尽経』がある。釈迦の教えが滅びようとするときのありさまを語った経典である。その描写がたいへんリアルなため、いくつかの仏教文献に引用された。そのため、古くから疑…

17-06 『法滅尽経』と末法思想

17-06 『法滅尽経』と末法思想 2007/4/26(木) 『法滅尽経』のテーマは、僧侶の堕落と教団の危機がテーマとなっている。五胡十六国のうち最後に北魏に滅ぼされた北涼でも仏教が盛んであった。国王の沮渠蒙遜(そきょもうそん、在位401年-433年)は中央アジア…

17-07 月光童子の登場

17-07 月光童子の登場 2007/4/26(木) 未来のあるとき、人間世界が危機におちいり、自然災害までそれに連動する。そういう思想が中国にはある。讖緯(しんい)の文献に語られ、道教経典でもくりかえし説かれていた。讖緯とは、儒教の経典にかこつけて神秘的な…

17-08 弥勒から阿弥陀へ

17-08 弥勒から阿弥陀へ 2007/4/26(木) 六世紀に弥勒の救済を説く偽経がいくつか現れた。だからといってそれまでの正統的な(中国語訳の経典にもとづく)弥勒信仰が一掃されてしまったわけではない。しかし、正統的な弥勒信仰に、確実に変質をもたらしたこと…

17-09 南獄慧思の末法思想

17-09 南獄慧思の末法思想 2007/4/26(木) 天台大師智顗(ちぎ)の師であった南岳慧思(なんがくえし)は、五五八年に『立誓願文』(りゅうせいがんもん)を書いた。また、慧思は「般若経」を金字で書写し、七宝の箱におさめた。弥勒が現れたとき、この経典を…

52-01 韓国慶州石窟庵の大仏

52-01 韓国慶州石窟庵の大仏 2006/2/25(土) 韓国の慶州(キョンジュ)は新羅時代の都だったところで、日本でいうならば京都にあたるような古都である。そこに仏国寺という名刹がある。中心の建物は一段と小高くなったところにあり、境内へは階段になった石橋…

52-02 韓国を訪れて

52-02 韓国を訪れて 2006/3/19(日) 15日から18日にかけて韓国へ行ってきた。目的地は安東市。安東市は3度目の訪問となる。安東市は、韓国中東部、慶尚北道(キョンサンブクド)の北部の中心に位置する。名古屋国際空港からソウルまでは飛行機で1時間40分ほど…

52-03 韓国ソウルの国立中央博物館

52-03 韓国ソウルの国立中央博物館 2006/3/19(日) 安東の訪問という旅の目的を終えて、16日の夜にソウルへ戻った。同行し友人には、ホテルまで送ってもらい、一人旅にもどった。17日は終日ソウルの市内観光にあてた。午前中は昨秋新装成った国立中央博物館、…

52-04 言葉の意外な壁 2006/3/19(日) 午後 0:18 --45 韓国の旅 歴史 facebookでシェア twitterでつぶやく 今回の安東市の訪問は通訳のできる仲間と一緒の旅であった。安東にも日本語が達者な人がたくさんいる。それでも、言葉の壁は思わぬところにある。 そ…

52-05 景福宮(けいふくきゅう)

52-05 景福宮(けいふくきゅう) 2006/3/19(日) 午前中を中央博物館で過ごした。それでも、ゆっくりと観られたのは仏像のコーナーだけである。慶州の古墳からの出土物や高麗青磁、白磁のところも興味はあるが、集中力が続かない。昼食を済ませてから、景福宮…

51-01 ミャンマー(ビルマ)

51-01 ミャンマー(ビルマ) 2006/2/25(土) 何年か前、2月の末にミャンマー(ビルマ)に行った。ミャンマーは上座部の仏教国である。上座部の仏教を、日本では小乗仏教(あるいは原始仏教)というが、ミャンマーの人は「小乗」という表現を嫌う。 上座部の…

31-23 ミャンマーの仏教

31-23 ミャンマーの仏教 2006/9/28(木) ミャンマー(ビルマ)は上座部仏教(小乗仏教)の国である。インドシナ半島のミャンマー、タイ、カンボジア、ラオス、そしてインド半島南端に位置する島国のスリランカは上座部仏教の国である。上座部仏教はアショカ王…

42-01 桁違いの広さ

42-01 桁違いの広さ 2006/1/31(火) 中国の面積は日本の約26倍。とにかく広い。新疆ウィグル自治区のみに限っても中国の約6分の1の広さで、なんと日本の4.4倍である。新疆ウィグル自治区は、中央を東西に走る天山山脈で南北に分けられる。天山山脈の北にジュ…

42-02 トルファンの歴史 2006/11/15(水) 午前 5:05 --42 トルファン 歴史 facebookでシェア twitterでつぶやく トルファンは中国新疆ウィグル自治区の東部、天山山脈の南側に位置する。この地は古来から交通の要衝であり、かつては、他民族が集う国際色豊か…

42-03 トルファンへ

42-03 トルファンへ 2006/11/15(水) ■ ウルムチからトルファンまで 成田を朝発ってウルムチには夕方に着いた。ウルムチは新疆ウィグル自治区の区都。天山山脈の中央の北側の山麓の都市である。人口は約800万人、大都市である。ウルムチで一泊してかトルファ…

42-04 ウィグル人の伸長

42-04 ウィグル人の伸長 2006/11/15(水) ■ はじめに トルファン(吐魯番)は中華人民共和国新疆ウイグル自治区の都市のひとつ。トルファン盆地の中央に位置し、面積は1万5738km²。人口は24万人(1995年)。ウイグル族が70%を占め、残りは漢族が多い。新疆ウ…

42-05 トルファンとウィグル 公開しない 2006/11/16(木) 午前 10:32 --42 トルファン 歴史 前漢代に車師国の一つ車師前国があり、その王城は交河城(ヤルホト)と言った。この城の下には河が流れているので、交河城と言う。その当時で人口が六千五百とある(…

41-01 初めての莫高窟

41-01 初めての莫高窟 2006/1/31(火) 敦煌では三連泊をした。朝8時過ぎにホテルを出てバスで莫高窟に向かう。市街地を抜けると辺り一面は綿花の畑となる。敦煌の綿花は質がよく農家の収入も比較的よいという。すでにところどころ花が咲いている。収穫の時期…

41-02 敦煌のモナリザ

41-02 敦煌のモナリザ 2006/1/31(火) 莫高窟のほとんどの石窟では、正面奥に塑像の仏像が安置され、その背後も含めて四面の壁と天井は絵(壁画)で埋め尽くされている。狭い入り口を入ってから振り返るとその両側の壁にも絵が描かれていることがあり驚く。 …

41-03 日本からの修復支援

41-03 日本からの修復支援 2006/1/31(火) 莫高窟の桟道で国際色豊かな集団とすれ違った。在中の各国大使館から来た人たちのグループのようである。旅のはじめに敦煌でこのようなグループと遭遇すること、そのためホテルの部屋を途中で変更しなければならない…

41-04 敦煌と魏晋南北朝時代

41-04 敦煌と魏晋南北朝時代 2006/1/31(火) 敦煌の莫高窟は、前秦の366年に沙門楽尊(正しくは人偏+尊)が草創したと伝えられる。その後およそ1000年にわたって開鑿(かいさく)が続けられる。その間敦煌を支配する政治勢力は何度も交替をしたが、石窟の開…

41-05 初期の石窟の意味について

41-05 初期の石窟の意味について 2006/1/31(火) ■ はじめに 敦煌莫高窟の石窟のうち、北涼末期から、北魏、西魏、北周の北朝の時代に造営された石窟を初期(421~581年)の石窟という。 北涼時代の石窟は三つが現存する。その中の一つが第268窟で、禅窟であ…

41-06 敦煌のビーナス

41-06 敦煌のビーナス 2006/2/1(水) MIHO MUSEUMに行ってきた。MIHO MUSEUMは滋賀県の信楽(しがらき)町の山の中にある。秋季特別展『中国 美の十字路展 ~大唐文明への道~』を見てきた。 敦煌には、美人窟といわれる石窟がもう一つある。第45窟である。…

41-07 五大石窟

41-07 五大石窟 2006/2/1(水) 午前 2:40 --41 敦煌・莫高窟 歴史 facebookでシェア twitterでつぶやく 今回の旅では、新疆ウィグル地区トルファンのベゼクリク千仏洞、甘粛省敦煌の莫高窟と西千仏洞の三つの石窟を見た。中国には他にも多くの石窟がある。敦…

41-08 木造桟道

41-08 木造桟道 2006/2/1(水) 石窟見学の最後に最上部にある第196窟を訪れた。断崖の中に造られた狭くて暗い階段をようやくにして上りきる。そこは展望台のように少し広くなっている。まぶしさをこらえて外に眼をやる。群生するポプラに囲まれたオアシスが眼…

41-09 石窟の灯り

41-09 石窟の灯り 2006/2/1(水) 石窟の入り口は狭い。狭い主室に至るまで通路のようになっている構造のところもある。外の光は十分には入ってこない。石窟はすべてが東向きに掘られている。朝の限られた時間なら朝日が石窟の奥まで差し込むこともあるだろう…

41-10 得眼林

41-10 得眼林 2006/2/1(水) 河西回廊のオアシス都市、武威(ぶい)の南50kmに位置する天梯山(てんていざん)に天梯山石窟(涼州石窟)がある。天梯山は祁連山(きれんざん)の支脈にあたる。天梯山石窟は、北涼(397~439年)の太祖 沮渠蒙遜(そきょもう…