41-10 得眼林

41-10 得眼林

2006/2/1(水)


 河西回廊のオアシス都市、武威(ぶい)の南50kmに位置する天梯山(てんていざん)に天梯山石窟(涼州石窟)がある。天梯山は祁連山(きれんざん)の支脈にあたる。天梯山石窟は、北涼(397~439年)の太祖 沮渠蒙遜(そきょもうそん、在位401~433年)が開いたといわれる。『魏書』釈老志に、「沮渠蒙遜、涼州にありて仏法を好む」とあり、沮渠蒙遜が熱心な仏教徒であったことをうかがわせる。

 曇無讖(どんむしん 384~433年)は涼州で活躍した西域からの渡来僧である。『涅槃経(ねはんきょう)』を漢訳したことで知られている。この『涅槃経』に「得眼林」と呼ばれる物語がある。

 「むかし、インドの国に500人の強盗がおり、村落や都城で悪事をくりかえしていた。国王は軍隊を送って強盗をとらえ、両眼を抉りとり深山に放置した。彼らは苦しみのあまり、泣いて仏の名を唱えたところ、仏は慈悲心をおこし香山の薬風を山に吹き込み、神通力でもって再び光明を与えた。強盗たちは過去を悔い改め仏に帰依し、出家して山林に隠棲したという。」

 敦煌莫高窟の第285窟は西魏(535~556年)の時代のものである。この南壁の禅定窟の上にある壁画はこの物語を描いたものである。「五百強盗成仏図」といわれる。『涅槃経』が一世紀を経て中国に定着したことを示している。