41-09 石窟の灯り

41-09 石窟の灯り

2006/2/1(水)


 石窟の入り口は狭い。狭い主室に至るまで通路のようになっている構造のところもある。外の光は十分には入ってこない。石窟はすべてが東向きに掘られている。朝の限られた時間なら朝日が石窟の奥まで差し込むこともあるだろう。しかし、多くの窟は入り口はせまく、中心柱窟の場合は、中心柱の両側が側廊となっており、その奥に後室がある。後室までは光は届かない。

 今日の石窟の見学に懐中電灯の携帯は不可欠である。しかし、全員の灯りを集めても壁画全体を照らすことはできない。石窟の内部は現地でわずかな照明でみるよりもテレビの放送でみたほうが鮮やかである。

 当時の灯りは油か蝋燭であった。油は植物性か動物性か。いずれにしても油煙は出ただろう。蝋燭の場合はどうであっただろうか。和蝋燭は櫨(ハゼ)の実から採れる木蝋を原料とする。和蝋燭は大きなものでない限り油煙は立たない。

 中国にも油煙を防ぐ工夫はあった。蝋燭は中国伝来のものであるが、すでに漢の時代に使用されていた。漢時代の墓から長信宮灯(ちょうしんきゅうとう)という灯りの道具を手に持つ宮女の金銅像が発掘された。長信宮灯は回転して光の明るさや照らす方向が調節でき、蝋燭の煙や煤はその中にたまるように巧みにつくられている。
(山川世界史総合図録P23)
 
 莫高窟には北区とよばれる部分がある。塑像や壁画のある石窟は南区にある。南区の石窟の数は492。北区には243の石窟がある。僧侶の修行や生活の場であった、という。南区の石窟はどのように使われていたのか、が疑問である。

 南区の石窟の天井を見ても煤で汚れているようなものは見当たらない。無煙の灯りが用いられたのか、灯りのない中で修行が行われたのか、それとも修行の場として利用されることがなかったのか。