31-23 ミャンマーの仏教

31-23 ミャンマーの仏教


 ミャンマービルマ)は上座部仏教小乗仏教)の国である。インドシナ半島ミャンマー、タイ、カンボジアラオス、そしてインド半島南端に位置する島国のスリランカ上座部仏教の国である。上座部仏教アショカ王の時代には成立し、南伝した。その後幾多の曲折があったにも関わらず、スリランカインドシナ半島のいくつかの国に伝えられてきた。

 ミャンマーは未知の国であったが、2003年、さらに2005年に訪問する機会があり、大変身近な国となった。ミャンマーの中央部は広大な平原となっている。その平原の真ん中をエーヤワディー川(イラワジ川)が南流している。しかし、西のベンガル湾に沿って南北に長い山脈が雨をさえぎり、一帯は乾燥した平原となっている。

 ミャンマーの中央部のエーヤワディー川の畔にバガンという町がある。ここに仏教の史跡がある。カンボジアアンコールワットインドネシアのボロブドゥールとともに世界三大仏教遺跡の一つに数えられている。11世紀から13世紀、バガン王朝の興隆からフビライ・ハーンの侵攻を受けるまでの250年余りの間に建造された大小さまざまな仏塔(パゴタ)や寺院遺跡が林立している。

 バガン王朝はミャンマー最初の統一王朝である。その頃すでに入っていた密教系の仏教やヒンズー教などを一掃し、上座部仏教が新たに導入された。その後政治体制については幾多の変遷があったが、上座部仏教は、今日に至るまで連綿として伝えられてきている。ミャンマー上座部仏教がどのようなもであるかについては、『ビルマ佛教』(生野善応著)が詳しい。また、バガンのパゴダや寺院がどのように造られたかについては、『謎の仏教王国パガン』(大野徹著)がある。

 私が今、関心を持つのはミャンマー上座部仏教の様子が仏教の歴史のある時代に酷似しているからである。仏塔の林立、寄進に伴って残されたいくつもの文章は、クシャーナ朝の時代のガンダーラ地方を思い起こさせる。