2019-12-10から1日間の記事一覧

42-01 桁違いの広さ

42-01 桁違いの広さ 2006/1/31(火) 中国の面積は日本の約26倍。とにかく広い。新疆ウィグル自治区のみに限っても中国の約6分の1の広さで、なんと日本の4.4倍である。新疆ウィグル自治区は、中央を東西に走る天山山脈で南北に分けられる。天山山脈の北にジュ…

42-02 トルファンの歴史 2006/11/15(水) 午前 5:05 --42 トルファン 歴史 facebookでシェア twitterでつぶやく トルファンは中国新疆ウィグル自治区の東部、天山山脈の南側に位置する。この地は古来から交通の要衝であり、かつては、他民族が集う国際色豊か…

42-03 トルファンへ

42-03 トルファンへ 2006/11/15(水) ■ ウルムチからトルファンまで 成田を朝発ってウルムチには夕方に着いた。ウルムチは新疆ウィグル自治区の区都。天山山脈の中央の北側の山麓の都市である。人口は約800万人、大都市である。ウルムチで一泊してかトルファ…

42-04 ウィグル人の伸長

42-04 ウィグル人の伸長 2006/11/15(水) ■ はじめに トルファン(吐魯番)は中華人民共和国新疆ウイグル自治区の都市のひとつ。トルファン盆地の中央に位置し、面積は1万5738km²。人口は24万人(1995年)。ウイグル族が70%を占め、残りは漢族が多い。新疆ウ…

42-05 トルファンとウィグル 公開しない 2006/11/16(木) 午前 10:32 --42 トルファン 歴史 前漢代に車師国の一つ車師前国があり、その王城は交河城(ヤルホト)と言った。この城の下には河が流れているので、交河城と言う。その当時で人口が六千五百とある(…

41-01 初めての莫高窟

41-01 初めての莫高窟 2006/1/31(火) 敦煌では三連泊をした。朝8時過ぎにホテルを出てバスで莫高窟に向かう。市街地を抜けると辺り一面は綿花の畑となる。敦煌の綿花は質がよく農家の収入も比較的よいという。すでにところどころ花が咲いている。収穫の時期…

41-02 敦煌のモナリザ

41-02 敦煌のモナリザ 2006/1/31(火) 莫高窟のほとんどの石窟では、正面奥に塑像の仏像が安置され、その背後も含めて四面の壁と天井は絵(壁画)で埋め尽くされている。狭い入り口を入ってから振り返るとその両側の壁にも絵が描かれていることがあり驚く。 …

41-03 日本からの修復支援

41-03 日本からの修復支援 2006/1/31(火) 莫高窟の桟道で国際色豊かな集団とすれ違った。在中の各国大使館から来た人たちのグループのようである。旅のはじめに敦煌でこのようなグループと遭遇すること、そのためホテルの部屋を途中で変更しなければならない…

41-04 敦煌と魏晋南北朝時代

41-04 敦煌と魏晋南北朝時代 2006/1/31(火) 敦煌の莫高窟は、前秦の366年に沙門楽尊(正しくは人偏+尊)が草創したと伝えられる。その後およそ1000年にわたって開鑿(かいさく)が続けられる。その間敦煌を支配する政治勢力は何度も交替をしたが、石窟の開…

41-05 初期の石窟の意味について

41-05 初期の石窟の意味について 2006/1/31(火) ■ はじめに 敦煌莫高窟の石窟のうち、北涼末期から、北魏、西魏、北周の北朝の時代に造営された石窟を初期(421~581年)の石窟という。 北涼時代の石窟は三つが現存する。その中の一つが第268窟で、禅窟であ…

41-06 敦煌のビーナス

41-06 敦煌のビーナス 2006/2/1(水) MIHO MUSEUMに行ってきた。MIHO MUSEUMは滋賀県の信楽(しがらき)町の山の中にある。秋季特別展『中国 美の十字路展 ~大唐文明への道~』を見てきた。 敦煌には、美人窟といわれる石窟がもう一つある。第45窟である。…

41-07 五大石窟

41-07 五大石窟 2006/2/1(水) 午前 2:40 --41 敦煌・莫高窟 歴史 facebookでシェア twitterでつぶやく 今回の旅では、新疆ウィグル地区トルファンのベゼクリク千仏洞、甘粛省敦煌の莫高窟と西千仏洞の三つの石窟を見た。中国には他にも多くの石窟がある。敦…

41-08 木造桟道

41-08 木造桟道 2006/2/1(水) 石窟見学の最後に最上部にある第196窟を訪れた。断崖の中に造られた狭くて暗い階段をようやくにして上りきる。そこは展望台のように少し広くなっている。まぶしさをこらえて外に眼をやる。群生するポプラに囲まれたオアシスが眼…

41-09 石窟の灯り

41-09 石窟の灯り 2006/2/1(水) 石窟の入り口は狭い。狭い主室に至るまで通路のようになっている構造のところもある。外の光は十分には入ってこない。石窟はすべてが東向きに掘られている。朝の限られた時間なら朝日が石窟の奥まで差し込むこともあるだろう…

41-10 得眼林

41-10 得眼林 2006/2/1(水) 河西回廊のオアシス都市、武威(ぶい)の南50kmに位置する天梯山(てんていざん)に天梯山石窟(涼州石窟)がある。天梯山は祁連山(きれんざん)の支脈にあたる。天梯山石窟は、北涼(397~439年)の太祖 沮渠蒙遜(そきょもう…

41-11 敦煌現代石窟プロジェクト

41-11 敦煌現代石窟プロジェクト 2006/2/1(水) 敦煌の莫高窟について調べるため、検索をしていたところ、思わぬWebサイトに辿り着いた。『中外日報』のサイトである。『中外日報』は日本宗教界を中心に洋の東西を問わず、あらゆる宗教の動向を網羅してきた宗…

41-12 敦煌文書(とんこうもんじょ)

41-12 敦煌文書(とんこうもんじょ) 2006/2/1(水) 1900年、第16窟の入り口の通路の横壁の中にもう一つの部屋があることが発見された。そこには大量の文書や図画が所蔵されていた。この石窟は現在は第17窟とされ、その由来から蔵経洞ともいわれる。その第17…

41-13 敦煌莫高窟の仏教

41-13 敦煌莫高窟の仏教 2006/4/10(月) 敦煌の莫高窟の石窟がどのように使われていたのか。単なるモニュメントに過ぎなかったのか、それとも寺院として使われたのか。よくわからなかった。今回の上京の際に一冊の本を見つけた。そこに『敦煌の社会と仏教』と…

41-14 初期の中心柱窟2 <第248・428窟>

41-14 初期の中心柱窟2 <第248・428窟> 2006/4/30(日) ■ 第248窟 中心柱四面にそれぞれ一つの龕を開き、正面に結跏趺坐像、ほかの三面に禅定像、苦行像、説法像を安置する。正面の中尊は蓮台に結跏趺坐し、大衣を通肩にまとう。龕の上方に伎楽天が虚空を飛…

41-15 敦煌の位置

41-15 敦煌の位置 2006/5/14(日) 敦煌の位置を示すのに「河西回廊の喉」というのがもっとも適した表現であると思う。敦煌から楼蘭やトルファンへ行く道は、砂漠の入り口とはいえ、変化に富んだ地形でその踏破は困難を極める。法顕や玄奘も非常な困難な想いを…

41-16 龍門の石窟

41-16 龍門の石窟 2006/6/2(金) ■ 雲崗石窟と龍門石窟 中国の初期の石窟寺院の開鑿(かいさく)は、4~5世紀に始まる。366年に敦煌莫高窟(ばっこうくつ)、420年に炳霊寺(へいれいじ)、460年に雲崗石窟、そして494年から龍門石窟の開鑿がそれぞれ始まっている。…

41-17 龍門 古陽洞と賓陽洞

41-17 龍門 古陽洞と賓陽洞 2006/6/2(金) ■ 古陽洞 龍門石窟の中で、最も古く開かれた窟が、この古陽洞である。 幅6.8メートル、奥行約13メートルの馬蹄形平面を持ち、ドーム型の天井まで、約11メートルという大窟である。正面は二段の宝壇上に、本尊の釈迦…

41-18 莫高窟の変遷

41-18 莫高窟の変遷 2006/10/23(月) 南北1.6km、上下5層にわたり龕窟が櫛の歯のように並ぶ。前秦建元2年(366年)から開削が始まった。現存するのは、北魏~元代の492の龕窟、4万5千㎡の壁画、2415体の彩色塑像、唐から宋代の五つの木造建築である。 ■ 初期 …

41-19 敦煌の歴史

41-19 敦煌の歴史 2006/10/23(月) ■ はじめに 敦煌は中国西部の甘粛省のもっとも西に位置する都市である。砂漠の中にある。敦煌の周りには多くの石窟が残されている。敦煌市の莫高窟、西千仏洞、安西の楡林窟、東千仏洞などがある。莫高窟に735窟、西千仏洞…

41-20 56億7千万年

41-20 56億7千万年 2006/10/25(水) 弥勒菩薩は兜率天(とそつてん)にいる。その弥勒菩薩が下生するのは56億7千万年後のことである。その数字の計算の根拠についての説明にめぐりあうことができた。敦煌の莫高窟の石窟では、弥勒菩薩像の塑像は最初期の石窟…

41-21 初期の中心柱窟1 <第254・257窟>

41-21 初期の中心柱窟1 <第254・257窟> 2006/11/14(火) ■ 第254窟 第254窟は北魏(386~534年)時代の石窟であり、中心柱窟としては最初期のものになる。中心柱の前はやや独立した空間となっている。第254窟の場合は、その部分の天井は中央の両端を切妻型…

41-22 経変画の登場

41-22 経変画の登場 2006/11/18(土) ■ 初期の経変画 経変画は、尊像図や説話図と異なり、一部あるいは数部の経典をよりどころとし、主題が鮮明で、経典の内容全体が描かれている大型の壁画を指す。莫高窟で最も早い経変画は北周時代の第296窟(「福田経変」…