41-22 経変画の登場

41-22 経変画の登場

2006/11/18(土)


■ 初期の経変画

 経変画は、尊像図や説話図と異なり、一部あるいは数部の経典をよりどころとし、主題が鮮明で、経典の内容全体が描かれている大型の壁画を指す。莫高窟で最も早い経変画は北周時代の第296窟(「福田経変」)にはじまるが、この一例しかない。


■ 隋の時代

 隋代の経変画は画面が小さいものが多く、第420窟の天井に描かれた「法華経変」や西龕両側の上部に描かれた「結摩詰経変」などのように、石窟の中の目立つところにはあらわされていない。


■ 唐の時代

 唐代に入ると、経変画は大いに発展し、第220窟のように、一壁一図の形式、また青や緑の色彩を基本色とする大型のものが登場した。盛唐期になってからも、初唐期の一壁一図の形式を踏襲している。中唐以降、経変画の種類はいっそう増え、同じ壁画に数種類の経変画を描くようになった。そして経変画の表現形式はだいたい固定し、阿弥陀と薬師、法華と華厳、および密教の不空絹索と如意輪、千手千眼と十一面観音といったように対のものを向かい合わせで表現する。

 中唐後期になると思益梵天所問(しやくぼんてんしょもん)や楞伽(りょうが)など、禅宗とかかわりのある経変画が登場した。これはおそらくチベット宗論で負けた禅僧の摩訶衍(まかえん)が再び敦煌に入り、禅宗を広めたことと関係していると思われる。


■ 晩唐以降

 晩唐と五代になると経変画はさらに形式化され、宋代には26種類にも達した。しかし、表現形式、絵画技法ともに新しいものは少しもない。むしろ、元代の第3窟に描かれている千手千眼観音が、その斬新な線描で莫高窟の晩期石窟に花を添えた。