2019-12-06から1日間の記事一覧

16-07 北周武帝の廃仏と末法思想

16-07 北周武帝の廃仏と末法思想 2006/11/23(木) 鳩摩羅什によってもたらされた「空」の思想は、ある危険性をはらんでいた。「空」の思想は、戒律と修行の否定、教団生活の否定の契機をもっていた。「空」のみが一人歩きし、戒律と禅観法が整っていなかった…

16-08 慧思 如来蔵思想と法華三昧

16-08 慧思 如来蔵思想と法華三昧 2006/11/26(日) 智顗の師事した南岳慧思(なんがくえし 515~577年)は『南岳思大禅師立誓願文』を著して「正法五百歳止住・像法一千歳止住・末法一万歳止住」の明文を遺した。いわゆる正・像・末の三時説を立て、末法思想…

16-09 「空」と中国仏教の危機

16-09 「空」と中国仏教の危機 2007/5/15(火) 中国仏教は、北周の武帝(在位560~578年)の時代に存亡の危機を迎える。この時代、二度目の法難といわれる廃仏が断行される。しかし、中国仏教がこのとき直面した危機の本質はより内的なものであった。鳩摩羅什…

16-10 慧思の定・慧重視

16-10 慧思の定・慧重視 2007/5/26(土) 午前 9:34 --16 天台の成立 歴史 facebookでシェア twitterでつぶやく 以下は禅宗の起源に関する文章の引用である。慧思が禅法を重視したはじめであること、その禅法は後の中国の禅宗に深くつながっていること、禅法が…

16-11 天台における「衆生」の発見

16-11 天台における「衆生」の発見 2007/5/27(日) 慧思と智顗の位置づけは見直すつもりです。 大乗仏教は「中国で」成立した。インドでは大乗仏教の経典は成立し、運動もあった。しかし、教団はなかった。中国での大乗仏教の成立は六世紀末の天台教学の成立…

13-01 念仏について

「念仏」とは、梵語の漢訳語で、仏を憶念・思念するの意である。原始仏教では仏陀(釈迦)に対する追憶・帰依・礼拝などの行法の一つと考えられる。仏教徒の実践行である三念(念仏・念法・念僧)もしくは六念(三念に念戒・念施・念天を加える)の行の一つ…

13-02 成立と伝来

13-02 成立と伝来 2006/11/8(水) ■ 浄土教とは 浄土教は、阿弥陀仏の極楽浄土に往生し成仏することを説く教え。「浄土」という語は中国での認識であるが、思想的にはインドの初期大乗仏教の「仏国土」がその原型であり、多くの仏についてそれぞれの浄土が説…

14-01 中国禅宗の画期性

14-01 中国禅宗の画期性 2006/9/26(火) 中国仏教の歴史をみるとき、いくつかの留意すべき点がある。中国の仏教がインドの仏教を追いかけ、一定のタイムラグをもってインドの仏教の流れに追随してきたのではない、ことはすでに何度も述べた。インドにおける大…

14-02 普化禅師

14-02 普化禅師 2006/10/25(水) 唐の宣宗時代の大中年間(847~859年)、普化(ふけ)という傑僧がいた。盤山宝積(ばんざんほうしゃく)禅師に師事して真訣を受け、あたかも狂僧のごとくふるまい、師の寂後は北地に遊んだ。常に手には一鐸を持ち、人を見る…

14-03 中国仏教史と禅宗

14-03 中国仏教史と禅宗 2006/11/8(水) 中国の仏教史の時代区分について眺めてみる。鎌田茂雄氏は『中国仏教史』(岩波書店 昭和54年刊)で、1、伝来と受容 --- 後漢・三国の仏教2、発展と定着 --- 東晋・南北朝の仏教3、完成と盛大 --- 隋・唐…

12-01 仏教の食肉禁止

12-01 仏教の食肉禁止 2006/4/1(土) 肉食の禁止は、小乗仏教の戒律にはなく、大乗仏教の戒律にのみある。この間の事情は必ずしも明らかではないが、以下に関係する二つの文章を引用する。 梁の武帝(在位 502~549)は、儒学、文学の面においても勝れた学才…

12-02 道安と戒律・禅観法

12-02 道安と戒律・禅観法 2006/10/25(水) 前秦(351~394年)の符堅(在位357~385年)の命を受けた将軍呂光(りょこう)が西域のオアシス国家亀茲国(きじこく)を攻め、鳩摩羅什(くまらじゅう 344~413年)を確保したのが386年。しかし、そのとき、前秦…

12-03 「戒律」の考え方

12-03 「戒律」の考え方 2006/11/6(月) 四世紀末、戒律は、道安などによって翻訳されたものがあったとはいえ、まだまだ不足しており、戒律の実践も極めて不完全であった。そこで、こうした状況を嘆じた東晋(317~420年)の僧法顕(337?~422?年)は、経と…

12-04 『南海寄帰内法伝』に見るインド仏教

12-04 『南海寄帰内法伝』に見るインド仏教 2006/11/8(水) 義浄(635~713?年)は七世紀にインドに求法の旅をした(671~695年)。義浄は帰国後、持ち帰った文献を翻訳した。『金光明経』(こんこうみょうきょう)や『根本説一切有部毘奈耶』(こんぽんせつ…

12-05 インドの大乗仏教と戒律

12-05 インドの大乗仏教と戒律 2006/11/8(水) 大乗仏教は、経典の膨大な量とその内容(教義と説話)の豊富さにもかかわらず、ことインドに関する限り、教団としての実態が定かではない。つまり、新しい経典があり、そこに信仰の対象としての諸仏とその利他の…

12-06 中国大乗の戒律

12-06 中国大乗の戒律 2006/11/8(水) 四世紀末、戒律は、道安などによって翻訳されたものがあったとはいえ、まだまだ不足しており、戒律の実践も極めて不完全であった。そこで、こうした状況を嘆じた東晋の僧 法顕(337?~422?年)は、経と律とを求めてイ…

12-07 中国仏教と偽経

12-07 中国仏教と偽経 2006/11/24(金) -偽経の積極的意味- ■ はじめに 偽経(疑経)とは、インド伝来の原典から翻訳されたのではなく、中国人が自ら撰述した経典群のこという。中国の仏教の歴史をみるとき、この偽経の問題については、より肯定的、積極的…

12-08 律典の伝来と梵網菩薩戒

中国への律典の伝来と受容の経緯はほぼ以下の引用の通りである。しかし、律典の伝来が五世紀初めに集中しているのは偶然ではない。多くの禅観経典もまたこの時期に集中して伝来している。 五世紀初頭に、鳩摩羅什が一大漢訳事業により「中観仏教」を中国にも…

12-09:戒律から「清規」へ

出家して比丘になることは具足戒を受けることに他ならない。その証明が中国にあっては度蝶(どちょう)と呼ばれる免許状で、許可なく出家した私度僧(しどそう)と区別するために絶えず携行することを義務づけられていたが、もともと守ることがほとんど不可…

12-10:清規と葬礼儀式

八世紀末の禅僧、百丈懐海(ひゃくじょうえかい)は「百丈清規(しんぎ)」という僧院の制度を定め、率先して労働に励んだ。『祖堂集』「百丈懐海章」によれば、百丈が毎日ほかの僧に率先して働くので、農作業の責任者が見るに忍びず、農具を隠して休ませよ…

11-01 『般舟三昧経』と慧遠

鳩摩羅什(344~413年)の到来を待っていた僧は他にもいた。慧遠(えおん 334~416年)である。慧遠は道安の弟子であった。慧遠は五胡十六国時代の混乱の時代、21歳で道安のもとで出家した。道安に随って各地を転々としたが、東晋(317~420年)の襄陽(じょ…

11-02 『坐禅三昧経』と僧叡

11-02 『坐禅三昧経』と僧叡 僧叡(そうえい)も鳩摩羅什(くまらじゅう)を待っていた。僧叡は慧遠(えおん)と同様に道安の弟子であった。慧遠は南下し途中廬山(ろざん)に入り、没するまで30年以上山から出ず、教義研究、仏典の収集と伝訳、後進の指導等…

11-03 禅観経典の伝来

■ 禅観経典の伝来 中国への仏教伝来から、『観無量寿経』(観経)などが訳される頃まで、多数の禅観経典が漢訳され、また多くの修禅者が西域やインドから中国にやって来て、さまざまな禅観を伝えている。・・・・・ 中国仏教の最初期においては、支婁迦讖(…

11-04 『観仏三昧海経』の重要性

11-04 『観仏三昧海経』の重要性 さて、いよいよ『観無量寿経』(観経)をも含む「観仏三昧」を取り上げる段階となった。すでにふれたように『観無量寿経』と同様に「観・・・経」と名付けられた経典が、『観無量寿経』と同じ頃いくつも漢訳されている。 重…

11-05 他の観仏経典と懺悔

11-05 他の観仏経典と懺悔 以下、その他の観仏経典について簡単にみることにしたい。 まず、『観仏三昧海経』以外の観仏経典は、いずれも一巻のみで品(章)の区別もない短いものである。また、その対象となる仏や菩薩は経典によって異なるが、いずれも当時…

11-06 観仏思想と二重の統合

11-06 観仏思想と二重の統合 『観経(観無量寿経)』(およびその他の観仏経典)の観仏思想は、二重の統合の上に立つきわめて総合的な思想であると考える。 そもそも大乗仏教は仏塔を中心とする仏崇拝の流れから生じたといわれているが、その中でも阿弥陀信…

11-07 『観無量寿経』の成立の不思議

11-07 『観無量寿経』の成立の不思議 ■ 『観無量寿経』とは 阿闍世王(あじゃせ)太子が提婆達多(だいばだった)にそそのかされて、父の頻婆娑羅(びんばしゃら)王を幽閉し餓死させようとした王舎城の悲劇を導入部として、極楽世界や阿弥陀仏、観音・勢至…

11-08 「般舟三昧」と造仏

『般舟三昧経(はんじゅざんまいきょう)』には、般舟三昧をすみやかに得る四つの方法を列挙し、その第一に「一には仏の形像を作り、もしくは画を作る」ことをあげている。 「四事品第三」 菩薩復有四事。疾得是三昧。何等為四。一者作佛形像若作畫。用是三…

11-09 『金剛般若経』の見仏聞法

11-09 『金剛般若経』の見仏聞法 『金剛般若経』は『八千頌般若経』と並んで、最初期の般若経典である。『金剛般若経』の残存する漢訳は、『金剛般若波羅蜜経』(鳩摩羅什訳 402年)、『能断金剛般若波羅蜜多経』(玄奘訳 648年)ほか計五本である。この経は…

11-10 『道行般若経』 と仏像

11-10 『道行般若経』 と仏像 ■ はじめに 「般若経」というのは単一の経典ではなく、同一の系統に属する多数の経典の総称である。多くの大部の「般若経」のうちで『八千頌般若経』がもっとも早い時期に成立している。しかし、『八千頌般若経』の現存サンスク…