16-10 慧思の定・慧重視

16-10 慧思の定・慧重視

2007/5/26(土) 午前 9:34 --16 天台の成立 歴史

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 以下は禅宗の起源に関する文章の引用である。慧思が禅法を重視したはじめであること、その禅法は後の中国の禅宗に深くつながっていること、禅法が如来蔵思想と深いつながりがあることなど、興味深いことが述べられている。

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 ではその禅定を宗旨とする宗派つまり禅宗とはいったい何であるのか。始めにその原義を尋ねるならばシナ仏教史の中にあっても「禅宗」という語義は特異な経過を持っている。まず盛んに使われ始めるのは管見する所、北魏仏教のころからである。即ち、『続高僧伝』慧思章に、

「江東の仏法は教義部門を偏重し、禅法に至ってはまったく軽視していた。慧思はこの南方の習慣を慨嘆して、定慧を双つながら重んじ、昼は理義を談じて夜は瞑想に耽った。故に発する所の言は、大いに影響を与えた。それによれば、定に因って慧を発するという。この旨は、真に尤もである。南北の禅宗は、この影響下にないものはない。」

 『続高僧伝』巻一七、
 「自江東仏法弘重義門。至於禅法。蓋蔑如也。而思慨斯南服。
  定慧双開。昼談理義夜便思択。故所発言無非致遠便験因定発慧。
  此旨不虚。南北禅宗罕不承緒。」

 とあるのが知られるうちで最も古いものかと思われる。この南岳慧思の系譜すなわち後の天台宗禅宗と呼ばれていたのは釈法顕伝によっても知ることが出来る。

 衆生はすべて初地の禅を体得している。時が来れば則ち悟りの知恵を発するだろう。心にその可能性を蔵してそれが無くなることはない。顗禅師なる者があって、荊楚の禅宗を標榜している。行って師事したいと思う(5)。
 なお、この法顕は道信の弟子にもなっており、禅宗天台宗の密接な交流を裏付ける存在の一人である。

『続高僧伝』巻二〇、「衆生並有初地味禅。時来則発。雖蔵心種歴劫不亡。有顗禅師者。荊楚禅宗。可往師学。」

引用・参照
沖本克己「禪思想形成史の研究」
 http://iriz.hanazono.ac.jp/book/book0105_01.html