16-09 「空」と中国仏教の危機

16-09 「空」と中国仏教の危機

2007/5/15(火)


 中国仏教は、北周武帝(在位560~578年)の時代に存亡の危機を迎える。この時代、二度目の法難といわれる廃仏が断行される。しかし、中国仏教がこのとき直面した危機の本質はより内的なものであった。鳩摩羅什の漢訳事業により、中国仏教は「空」を中心とした大乗仏教への道を歩み始めた。この時代の危機はこのことに起因する。

 一度目の廃仏の後、仏教は復興した。しかし、復興した仏教教団の腐敗は早かった。当時制作されたいくつかの疑経によって「法滅」の内容が詳細に語られている。「法滅」は「終末論」に結びついてゆく。

 仏教教団では、戒律も修行も無視された。仏教教団が存亡の危機に立たされたのである。この危機の本質は根深い。危機は「空」に由来していたのである。迷いと悟りとは不二の関係にある、迷いの中にこそ悟りがある。これが「空」の一般的な理解であろう。これを形式的に理解すれば、戒律も修行も無視される。また、聖・俗の区別も無視される。寺院も出家教団も必要ではない。

 先ほどの武帝の廃仏は、実はこのような論理が進言されたことによって行われた。直接の理由は、国家財政の危機を救うためであったが、このような「空」の解釈でもって行われたことの意味は重い。文帝による復仏後も、「空」についてこの突き詰められた課題に答えようとしないばかりか、逆にその論理に乗っかって、無反省のまま教団は再び堕落していった。

 しかし、「空」のこのような理解は誤解とはいえないのである。「空」がもたらした中国仏教の危機の遠因はというよりも真因は、羅什にある。羅什は大乗仏教小乗仏教を対立する別のものとして中国にもたらした。しかしながら、大乗固有の戒律、修行法というものは準備できなかった。したがって、その後は、「空」のみが一人歩きすることとなってしまったのである。

 この危機を法滅の危機として自覚したのが、智顗につながる天台の祖師たちである。祖師たちは、修行法の確立に努めた。その集大成が天台の「摩訶止観」である。この頃、ちょうど戒律も小乗仏教の戒律に大乗的解釈を施したものなどが加えられて整備され、律宗が成立した。

 この危機の時代に民衆は、仏教の信仰に救済を求めた。それに答えたのが、弥勒信仰であり、阿弥陀信仰である。また、三階教もこの頃成立するが、空に対する問いを真剣に受け止めているのではないだろうか。