11-08 「般舟三昧」と造仏

 『般舟三昧経(はんじゅざんまいきょう)』には、般舟三昧をすみやかに得る四つの方法を列挙し、その第一に「一には仏の形像を作り、もしくは画を作る」ことをあげている。

 「四事品第三」
  菩薩復有四事。疾得是三昧。何等為四。一者作佛形像若作畫。用是三昧故。

  (菩薩に復た四事有り。是の三昧を疾く得るなり。何等を四と為す。
  一には佛の形象を作し、若くは畫を為す。是の三昧に用いるが故に…)

 『般舟三昧経』は般若思想を踏まえた初期大乗の浄土経典の一種である。浄土三部経よりもややはやく成立している。十方仏国現在諸仏を説いて、その諸仏を空智のさとりを求めて真剣に修道しているボサツ=さとりを求める人が、「その修行の場である座を立たずして」見ることを得て、親しく法を聞き偽網を断ち切りうる禅定境地に入る方法を説いている。

 般舟三昧とは梵語のプラチュトパンナ・サマーディの音訳で諸仏が現前する禅定三昧ということで、「現在仏悉在前立定」(現在する仏がことごとく前にあって立たれる定)といっている。経には次のように説いている。

 仏告ぐ、一法行あり、常に当に習持し、常に守って余の法に随うな。諸々の功徳の中に最も第一だから。第一法行とは、「現在仏悉在前立定」(般舟三昧)である。(聞事品)

 佛告。一法行常當習持常當守。不復隨餘法。諸功德中最第一。
 何等為第一法行。是三昧名現在佛悉在前立三昧

 また次のようにこの三昧を説明し実践方法を勧める。この定を達成するために、専思念仏の対象として西方浄土に現存するアミダ仏を選ぶのである。経にいう。

 何によって、「現在諸仏悉在前立三昧」を致すや。何人でも仏を求める者は、よく戒律を守って一処に止どまり、心に西方アミダ仏が今現存したもうのを念ぜよ。ここを去ること千億万仏国のかなたにある極楽国で、仏が多くのボサツの中央にあって説教す。一切常にアミダ仏を念ず。
(中略)
 一心に念ずること一昼夜もしくは七日七夜、七日を過ぎて以後、アミダ仏を見る。覚めていて見ず、夢中においてこれを見る。天眼(神通を得た眼)をもって徹視するのでもなく、天聴をもって徹聴するのでもなく、神足をもってその仏国に到るのでもない。この間において命終わって、彼の仏国に生まれて乃ち見るのでもない。便ちこの間において坐ながらにアミダ仏を見、その説かれる経を聞いて悉く受得し、三昧中に、随って悉く具足して人の為にこれを説く

引用・参照
角川書店 『仏教の思想 6 不安と欣求 <中国浄土>』p65~