11-02 『坐禅三昧経』と僧叡

11-02 『坐禅三昧経』と僧叡


 僧叡(そうえい)も鳩摩羅什(くまらじゅう)を待っていた。僧叡は慧遠(えおん)と同様に道安の弟子であった。慧遠は南下し途中廬山(ろざん)に入り、没するまで30年以上山から出ず、教義研究、仏典の収集と伝訳、後進の指導等に尽力した。一方、僧叡は羅什の到来をまって、その門下に入り仏典の翻訳事業に参加した。

 僧叡が羅什に要請したのは、「禅定の手引書の訳出」である。慧遠と羅什との往復書簡の書簡集が『大乗大義章』として残されている。『大乗大義章』の重要なテーマの一つに「禅定」があった。道安とその門下の弟子たちにとって、「禅定」は大きなテーマになっていた。

 僧叡の求めに応じて羅什が編纂・訳出した禅経が『坐禅三昧経』(ざぜんざんまいきょう)三巻である。『坐禅三昧経』によれば、声聞道(しょうもんどう)、縁覚道、仏道の三つの修行道があるという。仏の教えに従って煩悩を断ち切った聖者である阿羅漢を目指す修行道を声聞道、仏の教えによらず自ら煩悩を断ち切った聖者である縁覚を目指す修行道を縁覚道、菩薩道の修行により知恵と福徳を完成させた最高の聖者になろうとするものの修行道を仏道という。『坐禅三昧経』は、この三つの修行道を並列している。

 ところで、『坐禅三昧経』は不思議な経典である。僧叡はこの文献の訳出事情を「関中出禅経序」に記している。その序文によれば、声聞道の部分の典拠は示されているが、仏道の部分は不明である、という。声聞道の部分に関しても、多くの人々の著作の抜粋によって編纂されたものであるという。

 仏道大乗仏教の修行方法)の典拠が不明ということはどういうことなのであろうか。それは、羅什が修行法に関する経典をたまたま持っていなかったということなのか。むしろ、当時の西域やインドには仏道大乗仏教の修行方法)に関する経典がなかったということも考えられる。

 羅什は他にも、『禅秘要法経』、『禅法要解』などの禅定に関する経典を訳している。これらの内容は今のところ不明である。

参照・引用
・山部能宜 シルクロードが伝えた「禅定」 NHK出版『新シルクロード3』所収