12-05 インドの大乗仏教と戒律

12-05 インドの大乗仏教と戒律

2006/11/8(水)


 大乗仏教は、経典の膨大な量とその内容(教義と説話)の豊富さにもかかわらず、ことインドに関する限り、教団としての実態が定かではない。つまり、新しい経典があり、そこに信仰の対象としての諸仏とその利他のはたらきが説かれ、またその仏を範とする菩薩たちの活躍が示されているのに、それを実践した人々の歴史上の姿が見えてこないのである。在来の小乗仏教(部派仏教)の仏教教団が処々の遺跡や碑文などにその明白な姿を残しているようには、教団としての存在が明らかでないのである。

 教団の存在が明白でない理由の一つに、大乗教団の規則、つまり律蔵の存在しないことが挙げられる。部派教団は部派ごとに律蔵を所有していたと思われ、現にそのうちのいくつかが、漢訳、チベット訳及びサンスクリットの原典を通じて知られている。しかし、大乗経典の記述を見ても、大乗戒はあっても大乗の律についての言及はない。

 もっとも、律蔵のないことは教団の存在しなかったことを直ちに意味するわけではない。大乗仏教も仏・法・僧の三宝への帰依を説くし、僧すなわち教団としては、声聞のサンガではなく、菩薩のガナへの帰依を説いている。このガナというのは、集団を意味する点でサンガと同義語ではあるが、律蔵の一般的規定によれば、サンガが律蔵の規定条件に適った有資格者(出家者)の集まりをさすのに対し、その規定外の集団をさす名称である。このことは大乗の教団が、在来の出家修行者だけの教団とは異なった性格のものであったことを暗示している。実はこのようなわずかな証拠から、大乗仏教の出発点が在家信者の間に起こった運動であっただろうとの推定もなされているのである。

 なお、やや後代のこととなるが、玄奘のインド留学の記録である『大唐西域記』には、各地の教団を、大乗、大小乗兼学、小乗部派の三種に区別しているが、その具体的な姿はわからない。一方、義浄の『南海寄帰内法伝』は南海諸国の教団の現状報告で、戒律のことが主に説かれている。義浄の留学目的も戒律研究であったが、それによれば、大乗とは菩薩を礼し、大乗経を読むもののことで、律に関しては小乗と変わらないということである。少なくとも七世紀のインドにおいての、これが大乗の実態であっただろう。

 要するに大乗とは、中観とか瑜伽(ゆが)という学派としての存在で、その教義を信奉する出家修行者も教団所属からいうと、小乗部派のいずれかひとつの一員であったのであろう。

参照・引用
・高崎直道 「大乗経典総論」 平川彰編『仏教研究入門』 大蔵出版 1984年刊 p77