25-24 大日如来坐像との出会い

25-24 大日如来坐像との出会い

2006/4/7(金)


 上野の東京国立博物館の平成館で『最澄と天台の国宝』展を見ている。休憩コーナーの窓から見える桜は半ば散ろうとしている。天台宗は、円仁、円珍以後、密教化する。したがって、展示会には密教の仏像も並んでいる。そこで、地元岐阜県の横蔵寺の「大日如来坐像」に出会った。智拳印を結ぶ金剛界大日如来像。木造彩色、坐高は70cm。像内の墨書銘により、平安時代1183年の作であることがわかっている。

 横蔵寺はわが家からは一時間弱のところにある。美濃の正倉院と呼ばれるように多くの仏像があるので、何度も訪れている。大日如来像はそこの三重塔のご本尊である。今は境内の宝物館に納められている。まさか、ここで会おうとは。広い空間を与えられて、後ろからも見られるように設置してある。少年のような初々しさと華奢な身体つきをしている。1176年に運慶が制作した奈良の円成寺(えんじょうじ)の大日如来像とよく似ている。

 円成寺は奈良の郊外にあり、柳生街道随一の名刹(めいさつ)である。平成二年に再建なった多宝塔に、仏師運慶の青年期在銘の大日如来像(国宝)が安置されている。秋のお彼岸の日、奈良興福寺の北円堂からこちらに回った。北円堂には、無着、世親の像と弥勒菩薩像がある。無着、世親の像は運慶作として有名である。弥勒菩薩坐像は北円堂の本尊であるがやはり運慶の作である。

 新しい多宝塔の柱は朱色に塗られ、秋の陽に輝いていた。前面はガラスに覆われ、ガラス面には紅葉が映っていた。顔を近づけて中を覗きこむと大日如来坐像があった。運慶 25歳頃の第一作。桧材の寄木造りで玉眼を嵌入し、漆箔(しっぱく)仕上げとする。坐高98.8cm。

 像の表面には漆が残り、身体つきに精悍さがみなぎっている。二の腕も充実しており、胸も厚い。運慶の青年期の気力の充実ぶりが反映されているようである。実際の坐高の差以上に大きく見えた。しかし、横蔵寺の大日如来坐像も今日は堂々として見えた。