43-09 大谷光瑞

43-09 大谷光瑞

2006/2/1(水)


 我家の仏間に書が架かっている。「福寿」と書いて、光瑞の署名がある。長い間、この書を気に留めることはなかった。家内は書道をかなりやっていたせいか、この書に気づいていたという。「光瑞」とは大谷光瑞のことだという。

 大谷光瑞(1876~1948年)は、西本願寺第23世門主明治35年から43年にかけ、三次にわたって大谷探検隊中央アジアに派遣し、シルクロードや西域文化研究に関する貴重な資料を収集した。今から100年前のことである。

 我家の宗旨は浄土宗である。光瑞は西本願寺であるから浄土真宗。どうして光瑞の書が我家にあるのかがわからない。父に聞いても知らないという。光瑞の書についてご存知の方があったら教えていただきたい。

 実は大谷探検隊のことは、大学で行われた公開講座「インド仏教美術研究会」に参加して初めて知った。家内は以前から知っていたようである。家内の実家が西本願寺系の浄土真宗であったこと、早くからシルクロードに対する憧れを持っていたこと、などがその理由であろう。

 大谷光瑞は「西域考古図譜」の序文で探検隊の目的について述べている。興味あるのは、「其の最大の眼目は仏教東漸の経路を明らかにし」というところである。「仏教東漸の経路」というとき、「阿弥陀信仰」の東漸の経路が念頭にあったことは間違いない。

 しかし、6世紀までの西域の石窟に阿弥陀像が見当たらないのである。さらには、仏像発祥の地のガンダーラやマトゥーラにおいても、阿弥陀仏像と確認できているのは一例のみである。敦煌莫高窟においても同様であった。

引用・参照
 http://www.joy.hi-ho.ne.jp/takemark/page029.html