アウンサンスーチー氏の龍谷大での講演要旨より

2013/9/26(木) 午後 5:36 000ブッダの悟りとポスト哲学 歴史

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 2013年4月、ミャンマーアウンサンスーチー氏が来日した。京都大学での講演は、女性の社会参画、男女平等がテーマであった。龍谷大学では、「一仏教徒として」の話がされた。ビルマには仏教だけでなく、さまざまな宗教の信者がいる。ここで和解と平和が実現できれば、それは世界の和解と平和も実現が期待できる。以下に全文を引用する。なお、項目は私がつけました。

■ 一仏教徒として

 私は良い仏教徒でありたいと思っているが、仏教の専門家ではない。今日は仏教の教えに沿って生活をしている一仏教徒として、お話をしたい。できるだけ短く10分間ぐらいで話をしたいと思う。皆さんから質問を受けたり、外で待っている学生たちにごあいさつを したりする時間を残しておきたいからだ。このことこそが仏教の実践だ。他人を慈しみ、大切にすることが仏教の教えなのだ。

■ 他人を愛し慈しむ気持ちを国内外の人々に

 この教えは、今変わりつつある私たちの国でできる唯一最大のことだと思う。暴力や怒り、復讐(ふくしゅう)、権力を求めることではなく、私たちが望むのは、他人を愛し慈しむ気持ちを国内外の人々に広げることだ。ビルマは長年、真の平和から遠ざかっていた。 私たちが独立した1948年以降、怒りや争いが途絶えたことはなく、常にどこかに武器があった。今も武器を持っている人、暴力で解決を望む人がいる。これ が私たちの国の状況だった。

■ お互いを大切にすることから

 それを変えたいと思うならば、また本当の意味で仏教の平和と愛を国全体に広めたいと思うならば、お互いを大切にすることから始めなければいけない。ビルマには仏教だけでなく、さまざまな宗教の信者がいる。こうした人々に対し平等に敬意を表し、同じように愛し慈しみ合うことが必要だ。相手が仏教徒であろうとなかろうと、どんな宗教であるのかは関係ない。宗教で人々を隔ててしまうことは、真の仏教の道ではない。

■ 仏教と民主主義

 仏教は決して民主化の概念と相反するものではない。仏教は私たち一人一人に価値を置いている。個人の人権に価値を持っているのが仏教だ。真に民主化された社会は、人権を尊重する社会でもある。先ほどこの会場に到着した際、非常に多くの人たち、特に若い男性 たちが親しみを持って私を迎えてくれた。
 しかし、人々がいつも慈しんでくれることを当たり前と考えてはいけない。慈しみや優しさは要求したり、 お金で買ったり、あるいは強制させたりすることではない。それは自発的に与えられるものでなければならない。与えられたいのならば、与えることが必要だ。
 新しい民主的な社会を作りたいと思うのであれば、いま申し上げたような仏教の価値観が大切になってくる。

毎日新聞 2013年04月16日より