25-10 鎌倉の大仏

25-10 鎌倉の大仏

2006/2/24(金)

 
 7月の初旬の暑い日、鎌倉を訪れた。小学校の修学旅行以来の久しぶりの訪れである。仕事の関係で前日横浜で宿泊した。鎌倉が近いということで寄ることとした。大仏のあるお寺は高徳院浄泉寺という。山門から入ってなだらかな坂の道を登ってゆく。ふと見上げるとそこに大仏が鎮座している。

 回廊の北裏の観月堂わきに、与謝野晶子(1878~1942年)の有名な石碑がある。晶子が生まれた1878年明治11年にあたる。

  かまくらや みほとけなれど 釈迦牟尼は 美男におはす 夏木立かな

 夏の空に立つ大仏は確かに美男である。暑い時期ではあったがそこだけは涼しい風が吹いているようだった。しかし、鎌倉の大仏は釈迦牟尼仏ではないのである。阿弥陀如来である。如来の種類は、印相(いんぞう 手の組み方)や持物で分る。鎌倉の大仏の大仏の場合、両手を膝の上に合わせている。これは「阿弥陀の定印」といわれる阿弥陀如来に特有の印相である。

 間違えたとしたら無理も無いとも言える。この大仏は由比ガ浜のある南を向いている。阿弥陀仏の多くは浄土を背にして東を向いている。また、多くの阿弥陀仏は下品上生(げぼんじょうしょう)の印である。右手を高く肩の前に置き、左手は下方に垂らして腰付近に置いている。

 しかし、晶子が本当に間違えたのか。晶子は奔放な性格であった。また、晶子が生きた明治の時代は仏教がとかくなおざりにされた時代でもあった。如来の区別は晶子の関心外であったのかも知れない。晶子は当時の知識人のレベルを代表しているのではないか。

 ただ、次のことはいえる。上の句の「釈迦牟尼は」を「阿弥陀仏」を直すと音の響きがよくない。釈迦(シャカ)だからシャキッとした感じが出るのである。