200-25-11

25-11 能面のような顔

2006/2/25(土) 午前 4:44 --25 仏教と日本文化 歴史

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 「能面のような顔」という言い方がある。表情のない顔を形容する表現で、誉め言葉ではない。しかし、能面のような顔と言われるには若くて美人である、という前提が必要のようだ。能面は女性の面だけではない。しかし、能面というと先ず思い浮かべるのが、若い女の面である。

 能面は本当に表情がない(乏しい)のでしょうか。能面は、笑うでも泣くでもない中間的な表情をしている。しかし、照らせば(仰向ける)微笑み、曇らせれば(俯ける)寂しげな表情となる、という。ただ展示されている能面からこれだけの表情を読み取るのは難しい。

 所用のついでに渋谷の松涛美術館を訪れたことがある(2002.07.05)。現代の能面師の橋岡一路さんの作品の展示会、特別展『百面のかたち』 ~能面の心と技~ を見るためである。橋岡一路さんは、名品と言われてきた多くの能面の写しに取り組んでこられた方である、百面を打ち上げたのを記念して開かれた。

 「能面は演者であるシテが魂を込めて舞ってこそ表情が出てくる。」とは橋岡さんの言葉である。飾ってある能面の表情は乏しい。壁にかけてあるだけの面ですが、その面が使われる場面を考えると面の表情が生き生きとしてくるから不思議である。

 先ず目に付くのは、女面しかも小面、孫次郎、若女などといわれる若い女の面である。展示の目玉は、金剛孫次郎久次の面を本面とする「おもかげ 孫次郎」。これは、室町時代、若くして亡くなった妻を偲んで、金剛太夫孫次郎が自らその面影を写して打ったと伝えられる作品である。気品がただよう表情豊かな面だ。

 今回展示されているのは本物ではなく「写し」である。「おもかげ 孫次郎」は本物の僅かな染みまで精巧に写し取っている。しかし、橋岡一路さんの「写し」は精巧さをこえて迫力がある。ここの展示物は橋岡一路さんのオリジナルな面の世界となっている。

 別のところにあった女面の前で思わず立ち止ってしまった。曲見(しゃくみ)といわれる女の面。「人の世のはかなさ、罪深さ、人生のあらゆる愛憎に耐えて、憂いも深く、泣きはらした母親の姿」と解説にある。「隅田川」や「桜川」で用いられる。

 「桜川」は、人買いの元に身売りしたわが子を狂乱状態になって探し求めた母親とそのこどもの再会の話。「墨田川」は、よく似てはいるが、子供はすでに亡くなっていてその墓がようやく見つかったというさらに悲しい話である。母親のその狂乱の深さが面ににじみ出ている。