200-25-14

25-14 『宇治十帖』

2006/2/25(土) 午前 6:08 --25 仏教と日本文化 歴史

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 宇治の平等院鳳凰堂(阿弥陀堂)がある。昭和26年から10円硬貨の裏に鳳凰堂の図柄が用いられている。鳳凰堂の中央の建物(中楼)に、仏師定朝が彫った丈六の阿弥陀仏像が安置されている。藤原様式を代表する優美な仏像である。

 宇治市は京都駅から東南の方向に約15km、宇治川の川畔にあります。宇治川の上流は瀬田川。琵琶湖の最南端から流れ出た瀬田川は、滋賀県京都府の境にある山地を通り、喜撰山の南を回りこんで宇治川となる。宇治は宇治川が山から平地へ出るところで流れは急である。

 古代にこの急流であった宇治川に橋がかけられたことから、宇治は奈良から山城(山科)、近江、北陸への交通の要衝となってきた。平安時代には、交通の便利さと美しい風景を兼ね備えた場所として、貴族たちの別荘地として注目されるようになった。平等院平安時代後期、1052年に時の関白藤原頼通によって建立された。頼道が父藤原道長の別荘を譲り受けて寺院に改めたものである。1052年は、俗に末法初年と言われた年。翌53年に鳳凰堂が建立され、阿弥陀仏像も造られた。

 紫式部源氏物語54帖の最後の十帖は宇治を舞台にしており、特に『宇治十帖』の名で親しまれている。この『宇治十帖』は宇治の優美な景色を背景にしている。紫式部中宮彰子に出仕したのが1005年頃で、源氏物語はその前から執筆されている。平等院が建立される約半世紀前である。宇治は『宇治十帖』の舞台としてよく知られていたことだろう。

  『宇治十帖』は次の通りである。
 第45帖 橋姫(はしひめ)、第46帖 椎本(しいがもと)、第47帖 総角(あげまき)、
 第48帖 早蕨(さわらび)、第49帖 宿木(やどりぎ)、第50帖 東屋(あずまや)、
 第51帖 浮舟(うきふね)、第52帖 蜻蛉(かげろう)、第53帖 手習(てならい)、
 第54帖 夢浮橋(ゆめのうきはし)