200-25-15

25-15 やがて悲しき

2006/3/1(水) 午前 7:02 --25 仏教と日本文化 歴史

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 おもしろうてやがて悲しき鵜舟かな

 芭蕉が岐阜を訪れ、長良川で鵜飼を見たときに詠んだという句である。鵜飼が終わったあとの寂しさ、侘しさを詠った句である。岐阜に生まれ、住んでいる私にとっては馴染みのある句である。

 文字にしてみたときに、違和感を感じた。なぜ「鵜舟」なのか。この疑問を、地元のML(メーリングリスト)に出してみた。幸い、メンバーの中に、俳句にも謡曲にも詳しい先生がいらっしゃって、たちどころに答えていただくことができた。

 本歌が謡曲『鵜飼』の中にあるという。『鵜飼』を引っ張り出してみると、確かにある。シテが登場してまもなく次のように謡う。

 「鵜舟にともす篝火の。消えて闇こそかなしけれ。」

 この本歌を頭において先ほどの句を詠むと、「鵜舟」の意味も少し分るように思われる。鵜舟には篝火がともっていた。その篝火が消えて闇の世界となった。「鵜舟」は篝火が消えて闇の中である。

 『鵜飼』のシテは、鵜使いの幽霊である。シテは殺生に関わる仕事ゆえの悲しみを背負い、禁猟区で漁を行ったことをとがめられて殺されて地獄に落ちた鵜使いの幽霊である。

 「鵜舟のかゞり影消えて。闇路に帰る此身の。名残をしさを如何にせん。」

 闇の深さはさらに増す。しかし、ワキ(旅の僧)の祈りで、鵜舟は「弘誓の船」になり、法華の御法も助舟となって、シテも奈落の底から救い上げられる。