24-01 南都六宗と天台・浄土
24-01 南都六宗と天台・浄土
遣隋使や遣唐使の派遣の重要な目的として、文物の移入と次代を担う人材の養成があった。隋や唐の時代は中国仏教が花開いた時期である。派遣された僧は最新の仏教をもたらした。その成果が、「南都六宗」である。「南都六宗」は奈良時代を最盛期として平城京を中心に活動した六仏教宗派の総称である。三論宗、成実宗、法相宗、倶舎宗、律宗、華厳宗の六宗よりなる。
南都六宗の成立過程をみておきたい。
◆625年(推古天皇33)来日の慧潅を第1伝とし、718年(養老2)帰朝の道慈を第2伝とする三論宗。
◆天武天皇のころの百済の道蔵を第1祖とする寓宗の成実宗。
◆660年(斉明天皇6)帰朝した道昭を第1伝とし、703年(大宝3)入唐の智鳳らを第2伝とする法相宗。
◆道昭らによって同時に伝えられたといわれる寓宗の倶舎宗。
◆天武天皇のころの道光によって伝えられた四分律宗。
これら五宗学は奈良時代初頭期にはすでに存在していた。
◆740年(天平12)、良弁の求めにより華厳経を講じた審祥を初祖とする華厳宗。
◆754年(天平勝宝6)鑑真・法進らによって伝えられた正規の律宗
この二宗が加わって南都六宗の形態が整い強化された。
752年(天平勝宝4)の東大寺大仏開眼会のころまでに、華厳・法相・倶舎・三論・成実・律の六宗が定まり、ここに南都六宗は成立した。
(参照 http://www.tabiken.com/history/doc/N/N268R200.HTM)
南都六宗の淵源となった中国仏教は、「中国の十三宗」である。
涅槃宗・地論宗・摂論宗・成実宗・毘曇宗・律宗・三論宗
浄土宗・禅宗・天台宗・華厳宗・法相宗・真言宗
ここで奇妙な不一致があることに気付く。中国にあって日本にないものがある。浄土宗と天台宗である。日本では、天台宗は真言宗と並ぶ、平安次代に入ってからの宗派であり、浄土教は平安時代の末から鎌倉にかけての時代の宗派である。
天台宗は智顗(538~597年)が完成、浄土宗は、開祖は道綽(562~645年)、大成者は善導(613~ 681年)。天台宗、浄土宗のいずれも平城遷都(710年)より早い時代に成立している。しかも、後の時代になって日本仏教の中心的位置を占めるようになる。
ここでは問題提起のみにとどめておく。