21-08 近鉄大阪線 飛鳥まで

21-08 近鉄大阪線 飛鳥まで

2006/10/26(木)


 名古屋から近鉄の電車を利用して飛鳥に向かう。名古屋と大阪難波の間には直通の特急が走っている。近鉄名古屋線三重県の松阪の辺りまで南下し、そこから大阪線に入る。大阪線国道165号線沿いに西へ向かい、青山、名張を経由して、桜井へ出て、大阪に至る。青山高原でいくつものトンネルを通り、名張盆地に出る。青山高原風力発電の大きな風車がいくつも回っていた。

 名張盆地の真ん中は名張川が流れている。名張川は木津川の支流である。木津川は北へ流れ、上野盆地、京都と奈良の県境付近を通り、京都盆地へ流れ出る。京都盆地宇治川桂川と合流して淀川となって大阪湾に注ぐ。淀川は近畿地方の大河であるが源は三重県にある。

 電車は笠置山系の南側を迂回するように山あいを抜けていく。長谷寺のある初瀬付近で初瀬川が見え始める。榛原(はいばら)という駅の少し西の布引山地の西峠という峠が分水嶺になっている。関西線は西峠を過ぎた後、三輪山南麓を初瀬川に沿って下り、桜井市に出る。初瀬川は桜井市東北の山中にはじまり、長谷寺のある初瀬から渓谷を西流し、奈良盆地に出て大和川となる。大和川奈良盆地の中心を流れる川であるが、山深いところに源流をもつ支流が少ない。初瀬川は山深いところに源を発するという意味で貴重な支流である。

 国道165号線は、伊勢からは「初瀬街道」大和からは「伊勢街道」と呼ばれ、古くから奈良盆地と伊勢や東国を結ぶ重要な交通路であり、神社仏閣への参詣に使われた街道である。長谷寺室生寺もこの街道沿いにある。壬申の乱の際、大海人皇子名張にいたった道であり、天皇に代わって伊勢神宮天照大神に仕えた斎王が伊勢へと赴いた道である。

 この初瀬街道を基準に考えてみれば、飛鳥は大和盆地の南端の地というイメージは払拭されるのではないか。飛鳥は伊勢と大阪を結ぶ交通の要衝の地を占めていたのである。京都は当時は平城山の背後の地という意味で山背の地であった。

 飛鳥は、現在の国道24号線(奈良街道)を通じて、滋賀県を介して東海地方や北陸ともつながっていた。24号線はJRの奈良線が並行して走っている。このコースは宇治川と木津川を越え、平城山を越えて奈良盆地に至る。山陰へは、平城山の中央を北に越え、京都の西の方で北陸へつながっていた。当時の飛鳥王朝の支配は、かなりの広い範囲まで広がっていた。

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