21-04 飛鳥川

21-04 飛鳥川

 飛鳥の南には高取山(標高583m)が広がる。高取山の南は吉野川が東西に流れ、その南は紀伊山地である。飛鳥川はこの高取山に源流を発する。そこから山を下って飛鳥に出る。さらに北流し、明日香村から橿原市磯城郡を経て奈良盆地のほぼ中央で大和川に注ぐ。飛鳥時代にはこの飛鳥川の東の平地には飛鳥板葺宮や川原寺などの宮やお寺が所狭しと並んでいた。今この辺りは、一面の水田である。

 8月のお盆の頃にここを訪れた。飛鳥川中流弥勒石が立っている。大きなお相撲さんほどの大きさで真っ黒な石である。その弥勒石の傍で、土地のおばあさんに話を聞くことができた。90歳を越えているというが、元気であった。この土地に生まれ、ずっとこの土地に住んでいるという。おばあさんによると、若い頃には水争いが絶えなかったそうである。水不足のときには、水泥棒から水を守るため、男たちは毎晩見張りに立った。この水不足は近年まで続いた。1944年(昭和19年)と1947年(昭和22年)の夏、ひどい水不足を経験している。

 奈良盆地の年間降水量が全国平均の約1,700mmに比して約1,350mmと少ないこと、流域に占める山地の面積割合が全国平均の約70%に比して約40%と少なく流域の保水力が弱い。晴天が続けば、すぐ水不足が起こり、ひとたび雨が降れば洪水に見舞われる。飛鳥川万葉集に「世の中は何か常なる飛鳥川昨日の淵は今日の瀬となる」と歌われているように、一晩の雨で、様相が異なってしまう暴れ川でもあった。

 奈良県の南半分は、吉野山系といわれる山岳地帯である。しかも、多雨で有名である。ところが、この山岳地帯に降った雨は、吉野山地を東から西へ流れる吉野川に流れ込み、和歌山県に入って紀ノ川となり、紀伊水道に流れてしまう。吉野川の水を飛鳥に導入しようという話が最初に出たのは元禄年間。しかし、下流域との間で水利権の調整が進まず、棚上げになっていた。1952(昭和27年)になって吉野川分水の工事が始まり、1987(昭和62年)に完成した。 水路は御所市の付近で二つに分かれ、明日香の方へは東部幹線水路が回ってきている。橘寺のところで、そのさらに支線が飛鳥川を跨いでいるのを見ることができる。