43-01 一通の手紙

43-01 一通の手紙

2006/1/31(火)


 今回の旅は一通の手紙から始まった。7月のはじめに一通の手紙をいただいた。A4の書類が入る大きさで、しかも差出人は女性である。中をあけてみると、日経カルチャーの旅のパンフレットと手書きの案内が同封されていた。ようやく手紙の主の正体が判明した。

 K先生であった。K先生は仏教美術、とりわけ中国の仏教美術を専門とする先生で、北京大学にも留学されたことがある。K先生とは、昨年(2004年)の12月に奈良でお会いすることがあった。東大寺の主催の仏教美術セミナーがあった。仏教美術の研究者の発表と交流の場であり、外国の研究者の参加もあった。

 K先生のセミナーの講義が印象的だった。従来の仏教美術や仏教の研究方法について疑問が提起された。現代という時点から望遠鏡で過去を見るようなことをしてはいけない。こちらから過去に近寄ってゆかなくてはならない。そのようなことではなかったのか。

 韓国の慶州に仏国寺という名刹がある。慶州は統一新羅の首都があったところ。古都である。仏国寺は新羅が統一された頃に建立された。その背後の山の上に、白い大理石でできた優美な大仏がある。触地印(そくじいん)という印相(いんぞう 手の形)で、現代の仏像の分類からみれば明らかに像容は釈迦如来である。しかし、阿弥陀如来ではないか、という説もあり、不思議に思っていた。

 K先生は、講義のなかでこの点に触れられた。触れられたが、先生の考えは示されなかった。講義の終了後、質問をさせていただいた。なんと、盧遮那仏(びるしゃなぶつ)ではないかと話である。当時の新羅では華厳経が盛んであった、印相と像容の関連が整理されるのはさらに後の密教以降である、というのがその理由である。(少し前のことで記憶があいまいになっている。誤解があればお許し願いたい)

 K先生のこのような姿勢を「歴史研究における謙虚さ」ということができるだろうか。わたくしにとっては、カルチャーショックにも近い衝撃であった。

 手紙はこのK先生からのものであった。