31-20 グレゴリー・ショペン

31-20 グレゴリー・ショペン

2006/9/24(日)


 グレゴリー・ショペン(Gregory Schopen)に『大乗仏教興起時代 インドの僧院生活』という著書がある。WEB検索で偶然見つけたこの本の紹介文に衝撃を受けた。

 「インドでは四世紀まで大乗経典は制作されても大乗教団は存在しなかった! 」

 中国が仏教をインドからいかに移入・受容したかの整理を試みたのだが、「インドの大乗教団」というものがまったく見えてこない。むしろ、大乗教団はインドでは成立しなかったと見る方が合理的ではないか。その理由は別のところで述べることとするが、このような結論に至ったことについて不安であった。しかし、ここに同様の見解を提示している学者を見つけることができた。

 グレゴリー・ショペンは「インドでは四世紀まで大乗経典は制作されても大乗教団は存在しなかった 」といい切っている。この言葉は著書の本文にはない。帯にある紹介文である。しかし、本文の序章のインドと中国における仏教の展開、の趣旨はまさにこのとおりである。訳者の小谷信千代さんのあとがきによると、この説は平川博士の「仏塔教団起源説」の批判者として1975年に学会に登場しているそうである。

 上記の本が出版されたのが2000年7月。この出版によって、私たちも知ることができるようになったということであろうか。この本の序章はさらに重要なことを述べている。

 「中国仏教は、インド仏教のほうがいくらか先行するその時間差を保ちつつ、年代的に平行して足並みを揃えてきた、つまり、これら両者はあい前後して発展してきたのである、というように、よくも考えもせずに度々想定されてきたのです。」

 インドでの初期大乗教団の成立と存在を否定すれば、インド仏教が中国仏教に影響を与え続けてきたという見方、すなわちインド仏教と中国仏教の歴史と発展を並行的に考える見方も否定されることになるというのである。中国仏教の歴史も独自の観点が必要となる。

 「インド仏教と中国仏教の歴史と発展を並行的に考える見方」(以下「並行説」という)から離れたとき、中国仏教の独自性と渡来僧の果たした役割が見えてくる。以下は、私見である。

 1)大乗仏教は中国で初めて成立した。
 2)大乗仏教と仏像は中国で結合した。
 3)大乗仏教の律、禅法は中国で作られた。
 4)渡来僧の支婁迦讖、鳩摩羅什が決定的な役割を担った。
 5)中国独自の仏教は、唐末期から宋の時代に成立した禅である。
 6)大乗経典はインドだけでなく、西域や中国でも作成された。

 大乗仏教の興起についても、

 1)仏像と仏塔は大乗仏教と無関係に成立。
 2)大乗の経典は部派仏教の僧院に所属する僧によって作成された。

 と、いいうるのではないか。

参照 
大乗仏教興起時代 インドの僧院生活』
著者 グレゴリー・ショペン(小谷信千代訳)春秋社