41-24 中原からの影響

41-24 中原からの影響

2007/2/22(木)


■ はじめに

 莫高窟は、鳴沙山の東側絶壁に、南北約1.6kmにわたって開かれた仏教石窟群である。石窟は492、彩色塑像は2400体余り、壁画4万5000㎡があり、さながら砂漠の大画廊である。

 莫高窟は、敦煌の町の南東約20km、南から北へながれる大泉河を前にした鳴沙山の断崖(だんがい)に、492窟が上下二重三重にうがたれており、約1000mの間の南区とその北約600mの北区とがある。壁画や塑像があるのは南区で、北区には石窟をつくった工人がすんでいた。工人窟には壁画や塑像がない。

 時代的には南区中央部が古く、北魏から隋にわたり、さらにその左右(南北)は唐、五代(五代十国)から元にいたるもので、全体としては800~900年の長期におよんでいる。現状では、その様式から判断して五胡十六国9、北魏23、西魏2、隋97、唐225、五代34、宋70、西夏25、元7に時代区分される。


■ 歴史の概略

 この地域が中国の支配下にはいったのは、前漢武帝の治世からである。武帝匈奴に対して武力攻勢をかけるため、西域へ積極的に軍隊を派遣した。敦煌はその駐屯地となり、郡が設置され、辺境防衛の要衝として玉門関、陽関の二つの関がもうけられた。

 南北朝時代また五胡十六国の時代にも、比較的安定しており、敦煌では仏教文化が開花し、つたえられるところによると、366年、前秦の僧楽尊(人偏+尊)によって最初の石窟の開削がはじまった。

 唐代においても、シルクロードの要として繁栄し、七~八世紀半ばには人口が11万人に達した。しかし、安史の乱以後は中国の支配が及びにくくなり、独立した地方政権のようになった。11世紀には、タングート族に占領され、ついでモンゴル族ウイグル族支配下にはいった。

 元代以降、シルクロードの重要性がうすれていくにつれて衰退し、荒廃した。莫高窟の掘削も、元代を最後に停止した。18世紀になって、敦煌清朝の領土となり、そのまま中華民国から中華人民共和国の行政区画となって現在にいたっている。


■ 初期

 莫高窟の草創は、聖暦元年(698)の「大周李君重修莫高窟仏龕(ぶつがん)碑」や晩唐の第156窟に墨書された咸通6年(865)の「莫高窟記」によると、前秦建元2年(366)沙門楽?が千仏をみて窟を開き、さらに法良禅師がその業をついだことをつたえているが、現存する最古の窟である第275窟など3窟は、その様式から北涼後期(5世紀初め)と考えられる。


北朝

 北涼から北周(397~581)にいたる北朝期の石窟は主として禅定窟、塔廟(とうびょう)窟、覆斗(ふくと)形方窟の3種がある。塑像は秦漢の技法をうけつぎながらも、インド、西域様式の強い影響のもとに完成している。北朝の壁画に描かれた主題は、おもに仏伝図と本生図(ほんじょうず:→ ジャータカ)、および譬喩(ひゆ)説話図、いわゆる本縁説話図である。北涼から北魏にかけては、インドから西域をへてつたわった初期仏教説話図のエキゾティックな香気がただよっている。西魏北周時代には、中国化がすすみ、天井などには西王母東王公、伏羲(ふくぎ)、女?(じょか)、四神などの中国古来の神話、伝説を描いている。


■ 隋唐とそれ以降

 隋唐時代は、中国全土の統一国家達成と経済的発展により、敦煌がますます重要な地位を占め、中原との連携が密になったことを反映し、莫高窟では中国本土の仏教美術が流行した。隋代の壁画は基本的には西魏北周窟の主題と様式を継承しているが、窟はより小型となり、壁画は塑像に三尊像が流行するのにともない、多くの樹下説法図が描かれ、仏伝図、本生図は減少し、さらに内地の影響をうけて維摩経変相が登場した。

 唐代の窟は覆斗形天井窟が主流となる。窟形は一般に大型のものがつくられ、中には35mに達する倚像(いぞう)や大涅槃(ねはん)像もつくられた。唐代の塑像は長安、洛陽で完成された優雅な様式を忠実に反映するとともに、写実をふまえた円満端正な理想像が追求された。

 壁画は唐代にいたって質量ともに頂点に達した。仏伝図や本生図は消失し、西方浄土変、東方薬師浄土変、弥勒(みろく)浄土変などの変相が窟内の壁面をうめている。初唐貞観16年(642)銘をもつ第220窟は、莫高窟壁画にもっとも中原文化をつたえ、まったく新しい唐代の図像と様式があらわれ、飛躍的に完成された阿弥陀浄土変、薬師浄土変が突然に出現する。盛唐にいたって尊像や供養者の円熟した描写法、奥行きのある山水表現などの古典様式の完成をしめす。

 吐蕃占領期をへて、張氏と曹氏が支配した帰義軍期になると、中央からの文化的隔絶をものがたると同時に、莫高窟壁画はひとつの地方様式として固定化していった。莫高窟の造営は西夏の侵入以後も、元代にいたるまでわずかながら継続されている。

http://www14.plala.or.jp/bunarinn/dairyA/encarta/dairy/encart/tonkoutobanri.htm