永劫回帰はアンチテーゼ

普仏戦争の勝利

 フランス革命ヘーゲル(1770~1831)が19歳のときである。ヘーゲルフランス革命に感激した。ゲーテ(1749~1832)やナポレオン(1769~1821)やベートーベン(1770~1827)らは同時代に活躍を目の当たりにしして、ヘーゲルキリスト教理性主義で世界史を説明可能であり、歴史を進歩するものと考えた。

 「理性が世界を支配する。したがって世界の歴史は理性的に進行する。世界史とは精神が無自覚に存在している自己自身の知識を獲得しようとして自己を加工してゆく、その精神の表現であるということができる。」(『歴史哲学』)

 実際当時のドイツ程「文化」という言葉がもてはやされた時代はない。普仏戦争が大勝利に終り(1871年)、皇帝ヴィルヘルム一世による新しいドイツ帝国が出来上ると、いわゆる「泡沫会社乱立時代」という未曽有の好景気のわくの中で、人々は誰も彼も一片の文化を手に入れようと努力したのである。いたる所で、いわゆるドイツ教養市民が好む文化的催し物が盛んになり、人々は退屈な日常をまぎらわした。このような状態は、表向きは上品な文化性をもっているが、実は真の文化の正反対の「野蛮」といわれるものである。

 

ヘーゲル歴史観

 ヘーゲルは、『精神現象学』(1807年)において、直接的な意識から始まり、即自から対自、存在から絶対的知識へ発展し、現象の背後にある物自体を認識し、主観と客観が統合された絶対的精神になるまでの過程を明らかにした。
 彼によれば、「精神」は単なる人間の主観ではなく、世界史の過程を通して絶対的精神へと自己展開してゆくものである。人類の歴史は、絶対精神が弁証法的に発展し、奴隷的な状態を脱し、自由を獲得する過程でもあり、理性が自然を克服し、原始的な宗教から啓示宗教が支配する社会を経て自由な国家が成立することによって歴史は終わるとした。

 ヘーゲルは、根源的一者の自己展開というドイツ中世のネオプラトニズム的な神秘主義を下敷きに、弁証法という論理学、認識論という当時の近代的な哲学概念を用いて、近代的で理性的な主体である個人を前提に、民族を統合した自由な国家の成立の必然性を説くという進歩的主義な歴史哲学を主張したのである。

ニーチェ

 ヘーゲルへの根本的な批判をしたのは、ショーペンハウアーニーチェキルケゴールである。彼らは非理性的、主観的であり、学問への体系の関心は希薄であるが、自己の人生を第一義とする真摯な哲学者たちである。また、人生は理性では割り切れず、むしろ不条理で苦悩であると考える。

 『反時代考察』(理想社ニーチェ全集第四巻小倉志祥訳)と題される四つの論文、<『ダーヴィッド・シュトラウス、告発者と著述家』(1873.8)、『生に対する歴史の利害について』(1874.2)、『教育者としてのショーペンハウアー』(1874.8)、『バイロイトにおけるリィヒャルト・ワーグナー』(1876.7)>のうち前三篇は、ヘーゲル批判の書である。『反時代考察』という題名には、1871年にはプロイセン・フランス戦争に勝ち酔える当時のドイツの時代精神に反対してという意味が込められている。

 

永劫回帰

 永劫回帰キリスト教的な来世の否定であり、哲学史的な意味合いにおいては、弁証法の否定と解釈できる。ニーチェ永劫回帰を説き、弁証法を否定することによって、近代化そのもの、社会はよりよくなってゆくものだという西洋的な進歩史観そのものを覆そうとしたのである。弁証法は、近代哲学の完成者といわれるヘーゲルの基本概念である。

 「歴史の進歩」という概念そのものが西洋的、キリスト教的である。キリスト教的な予定調和な運命論的歴史観に対してヘーゲルは、歴史はカオスであり、法則を見出すことは不可能であると批判していた。

 20世紀の私たちはヘーゲル楽天的な歴史観よりも、ニーチェが『権力意志』で述べたニヒリズムの到来が的中したことを知っている。

 

参照
http://www.geocities.jp/jbgsg639/newpage15.html
2013/9/25(水)