31-33 テーラヴァーダの系譜

31-33 テーラヴァーダの系譜

2006/12/9(土)


 大乗と小乗というように両者は対立的なものとして扱われることが多いが、意外な共通点があるものである。以下に紹介する文の最後のところに注目していただきたい。その理由についてもう少し詳細に知りたいところである。マウリア朝のアショーカ王の頃の根本分裂にかかわっているように思われる。


 インドにおける初期の大乗の本質と特徴とをわれわれは甚だ誤解してきたことになります。つまりわれわれは、インド仏教中期における最も有力な存在を完全に見過ごしてきたわけです。主流が何であったかを完全に見失い、既成の僧院の宗教的ならびに社会的な重要性を甚だしく過小評価して、「小乗の僧院」と呼び慣わしてきたのは皮肉なことです。

 現在明らかになりつつありますが、これら僧院は、相互に連動し合う宗教的、経済的、社会的な責務を通じて、それらの地域社会の要求によく呼応して、非常によく成功した組織として発展していたものと思われます。実際、それらが成功をおさめていた状況下では、大乗が提供しなければならないと考えたものに対して人々は何の必要性も感じませんでした。端的に言えば、小乗の僧というものは、主として余りにもしばしば大乗の議論というレンズを通して見られたことによって、完全に誤解されてしまったのです。

 繰り返せば、もしここに示唆したことがたとえおおよそであれ正しいとすれば、大乗がインド国外へ移動したことの主要な動機をも説明することになるでしょう。その社会環境の中にしっかりと定着している既成集団には、移動する動機はほとんどありません。移動することに強い誘惑を感ずるのは、経済資源や社会的な名声や政治的な権力に近づく方法をほとんど待たない、もしくはそれを制約された、これらの「辺境」の者たちであり、成功を手中にしていない者たちです。そう考えれば、大乗が国外へ移動した理由が明らかになります。そう考えれば、テーラヴァーダの移動の理由も明らかに在るでしょう。つまり、それらはどちらもおそらく故郷でうまくいかなかったのです。インド側から見れば、最も重要でなく最も成功しなかつたこれらの仏教集団が、今日最もよく知られているということは、皮肉の最たるものです。しかし少なくともそれはまったくあり得ないことではないのです。      

参照・引用
・グレゴリー・ショペン 『大乗仏教興起時代 インドの僧院生活』 春秋社