200-25-02

25-02 宇治の平等院の朝

2006/1/17(火) 午前 9:31 --25 仏教と日本文化 練習用

facebookでシェア
twitterでつぶやく

イメージ 1

イメージ 1


 8月15日、旧盆の日の早朝、京都洛南の宇治の平等院に出かけました。平等院に着いたのが朝の5時頃で、日の出前でした。朝日が平等院にどのように射し込むかかが見たくて、以前からチャンスの到来を待っていました。前日は抜けるような青い空でした。チャンス到来とばかり、翌朝暗いうちに岐阜を出ました。星が瞬いていました。

 宇治の平等院は浄土の世界があるという西方を背にして東面しています。平等院のすぐ前は宇治川がほぼ南北に流れています。その宇治川の東には仏徳山と朝日山という100mを少し越える小高い二つの山が並んでいます。朝日はこの二つの山を越えて射しはじめます。

 やがて日の出の時間となりました。二つの山があるため平等院はその影でなおひっそりとしています。今は平等院宇治川の間は堤防となって高い生垣がありますが、創建当時は川原があるのみで、宇治川の対岸から鳳凰堂とその中に安置されている阿弥陀仏像を拝むことができたとのことです。

 6時過ぎになってようやく鳳凰堂にも日が射し始めました。平等院の拝観の開始は8時半からですから、まだ中に入ることができません。宇治川の堤防の散歩道に廻り、生垣越しに見ることとしました。生垣の隙間から覗き込むとすでに日は鳳凰堂の半ばまで照らしていました。扉は閉められていましたので、阿弥陀仏像を見ることはできません。しかし、前の池には鳳凰堂が映っていました。

 車で仮眠を取った後、9時半にようやく鳳凰堂に入ることができました。境内には8時半に入れますが、鳳凰堂は9時半にならないと入れません。日はすでに高くなっていて直射日光こそ差し込んではいませんでしたが、堂内は明るく、阿弥陀仏像もさわやかに見えました。現在は仏像や伽藍の内部に施された彩色もずいぶん落ちたり褪せたりしてしまっています。彩色がそのまま残っていれば燦然と輝いたと思われます。

 夕焼けを背景にした鳳凰堂の夕景はさらにすばらしいと思われます。鳳凰堂は黒いシルエットとなり、内部は灯りが煌々とともされます。浮かび上がった阿弥陀像が前の池に映ります。残念ながら、写真でしか見たことがありません。