200-25-03

25-03 葬式と仏教

2006/1/27(金) 午後 6:29 --25 仏教と日本文化 歴史

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 今日の日本では葬式に仏教は欠かせない。お通夜と告別式、後の法事までほとんどが仏式で行われる。東アジアの仏教圏で葬式と仏教がこれだけ深く結びついたのはおそらく日本だけであろう。台湾や韓国では葬式は「道教」と結びついている。「道教」は道教的な習俗である場合もある。
 
 日本には神道がある。しかし、神道は「死」を忌み嫌ってきた。葬式と結びつくのは難しかった。しかし、仏教が初めから葬式に関わったわけではない。平安時代の末期、保元平治の乱のときには、戦場となった京都の六波羅のあたりには戦死者の死体が放置されていたという。後白河天皇がこの惨状を哀れみて戦死者の供養のために寺を建立した。それが三十三間堂(蓮華王院)である。屋内に安置されている千手観音の数は1001体。数の多さは戦闘の悲惨さを示しているのだろうか。

 室町時代に入って京都は南朝北朝が、また北朝同士が争う戦場になる。流浪化した難民も増える。戦死者や行き倒れもおおかった。現在の苔寺西芳寺)は廃寺となって遺体を捨てる場所であった。そこに禅の寺と庭を造ったのは、夢想国師である。

 仏教は死者の弔いをしたが個々の葬式とはまだ結びついていなかったのだろうか。仏教が葬式と結びついたのは民衆のレベルでは、江戸時代以降のことかもしれない。法事だけでなく、お盆やお彼岸の行事とも仏教は結びついた。お盆と先祖供養と結びついたのは中国においてである。『盂蘭盆経(うらぼんきょう)』というお経が根拠とされている。しかし、お彼岸との結びつきは日本においてのみである。

 『盂蘭盆経』は仏教の個人主義を中国の忠孝の道徳に合わせて中国でつくられたお経である。お彼岸の行事はおそらく仏教が伝来する前からあった。先祖供養と結びつく内容があったのであろう。そのために仏教と結びつくこととなった。

 仏教と葬式の結びつきを快く思わない人がいると思う。しかし、仏教が日本において今日まで残りえたのはこの土地の習俗や文化の中に溶け込むことができたからある。お陰で私たちは、葬式や法事、彼岸や盆のたびに仏教を思い出すことができるのである。

 このテーマについては調べても分らないことが多い。ご存知の方があったら、ぜひ教えていただきたい。また、間違いがあればご指摘いただきた。よろしくお願いします。