25-22 日本と朝鮮の食生活

25-22 日本と朝鮮の食生活

2006/4/1(土)


 以下は、引用であるが、仏教と肉食の関係、キムチと唐辛子の関係に触れているので引用してみた。


 人間の基本生活条件である衣・食・住のうちでも食は最も基礎的な条件であり、また、最も地域個性が著しいものでもある。例えば日本における生活では、洋服、洋風建築は目についても、食の基本はなおコメを主食とし醤油あるいは味噌で味付けした副食を組み合わせた和食にある。

 675年の天武天皇による肉食禁止令以降かたくななまでに肉食を禁忌してきた日本人であるが、やっと肉食を明治以降にはじめても、その食べ方は牛鍋でありすき焼きだった。これは肉を醤油で味付けしたものであり、それまでに試みられてきた魚の食べ方とそんなに違うものでなく、多分密かに行われてきたイノシシ、シカといった山野の獣肉(これは禁止令の対象外である。)の食べ方を牛肉に置き換えたものであったのだと推測される。

 それで、現在日本ですき焼きに使われる牛肉は、獣脂を異様に多量に含んだ、世界の他の地域では決して歓迎されないしろものであるけれども、それは肉質を極度にやわらかくするのであり、それは動物質の食物といえば魚でしかなかった日本人が肉に対しても魚のようにやわらかいものであることを好んだ結果であるのだろう。

 それにもう一つの食肉である豚肉についても、トンカツは確かに西洋料理の応用だけれども、それは洋食でなく明らかに日本料理の一範疇に入るものである。日本人が培ってきた天ぷらの技法により大量の油を使って程良く揚げられたトンカツは日本人の発明であり、豚肉は衣といっしょにあらかじめ切り分けられて食卓に提供され箸でつまんで食べるのである。

 さらに目を日本国外に転じれば、例えば朝鮮半島では、過去には日本と同じく仏教の伝播を受けその影響から日本同様肉食を禁じた時期もあるのに、そこでは肉食は日本よりはるかに開発程度が高いのである。内臓肉を食べる焼肉は朝鮮半島から日本に伝わった。

 この獣肉を食べることへの朝鮮半島と日本の相違には、朝鮮半島の人間集団が置かれた環境がある。遊牧民族の支配を受けた経験をもつ朝鮮半島では、その支配の時期に遊牧民族の肉食を受け入れ、と言うよりは受け入れざるを得なかったというほうが真実だと思うが、それを以後定着させたのである。

 それに、これは朝鮮半島での肉食の経過とは直接の関連をもたないけれども、朝鮮半島は東アジアのなかでは飲茶の習慣のうすい特徴がある。それは、日本では広範囲に茶の栽培が可能であるのに比較し、朝鮮半島では南部の一部でしか茶は生産できず、貴重な、それだからこそ高値な食物となったからなのである。茶は日本ほどだれもが気軽に接することのできる食物となることはなく、そのため飲茶は朝鮮半島に定着する条件を欠いていたのである。

 このような例をあげるまでもなく、食は、衣食住のうち環境(他民族との接触も含んで)との関わりに規定された最も地域個性が顕著なものとしてあるのであり、それは日本におけるのみならずすべての人間集団の生活様式のうちで、それぞれの地域事情に応じて相違するものとしてある。

 このことは同じ食材についてもそのとおりである。16世紀に日本を経由し伝わったトウガラシは朝鮮半島で固有な不可欠の食材となった。この地域にまったくなかったのに、それまでの食生活に対立するものとして受け入れられたのではなく、それまでの食生活に適合して受け入れられ、そしてそれまでの食生活をより豊かな幅広いものとしたのである。サンショウがその役割を担っていたキムチの辛さがトウガラシに替えられたように、朝鮮半島ではそこにくらす人間集団が独自なトウガラシの食べ方を応用しまた開発し、そこにおけるそれまでの独自の食という生活様式に付け加えて同じように独自の不可欠の食材としたのである。


引用・参照
 http://homepage2.nifty.com/GIGOKU/hattatsuc1.htm