25-27 拙速

25-27 拙速

2006/12/6(水) 午前 7:07 --25 仏教と日本文化 歴史

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 地元のある禅寺の住職さんのお話を聞いたことがある。そのとき印象に残ったのが、「拙速を尊ぶ」という言葉である。とりあえず先ずやりなさい、というよりは少し鋭いようである。「間髪をいれず」というタイミングで、ということのようである。

 拙速は「出来は悪いが仕上がりは速いこと」を意味する。通常は「拙速を避ける」というように用い、マイナスのイメージの言葉である。拙速の反対の言葉が、「巧遅」である。意味は「たくみではあるが完成が遅いこと」。必ずしもプラスイメージの言葉ではない。

 「巧遅は拙速に如かず」という言い方がある。「できあがりがいくら立派でも遅いのは、できがまずくても速いのに及ばない」という意味である。こうなると、拙速がよりプラスのイメージになる。

 禅宗というのは、へそ曲がりなところがある。その例として、上記の話を持ち出したのだが、世間の評価としても拙速の方が上のようである。禅僧が「拙速を尊ぶ」といっても、へそ曲がりな表現にはならない。

 しかし、「巧遅は拙速に如かず」という表現は、禅的表現が日常生活に入り込んだ例ではないか。自分の仕事が「拙速」でなされたと聞いて、喜ぶ人はいないであろう。「巧速」こそ最も望ましいのだが、現実には、拙速と巧遅が窮境の選択枝となる。そこで、さらりと「拙速を尊ぶ」というと、一瞬の空白が訪れる。禅僧もそこを狙っているのだろう。

 仏教は、この「空白」をかもし出すところがある。