21-12 高松塚と亀虎古墳

21-12 高松塚と亀虎古墳

2006/10/27(金)


 高松塚古墳や亀虎古墳など終末期古墳がなぜ高取川(たかとりがわ)の上流の周辺に集まっているのか。これらの古墳は、いずれも小高い山や丘陵の南側の斜面に横穴式で築造されているという共通性をもつ。このことから、当時、朝鮮や中国から入ってきたと思われる風水の影響があるのではないか、と考えるようになった。飛鳥川沿いの狭い飛鳥とは異なり、高取川の周辺には丘陵が随所にあり、その南面を利用して墳墓を築造することが容易であった。


 上原和氏はすでにこのことに気付いておられた。以下に引用させていただく。

 もともとこの高取川をはさんだ丘陵地帯のすべてがともに明日香の墓域ではなかったか。それにこれらの丘陵地帯の八つ手の葉のように入り組んだ地勢は、もともと墓地の吉凶を占う陰陽師にとっては格好の墓域であったように思われる。亀虎古墳は東西に走る丘陵の南の斜面にあり、周りを取り囲むように東と西と北の三方が高くなり、南は大きくひらかれ、谷をへだてて高取の山並みに向き合っている。まさしく風水説にいう、風を蔵し水を得る”四禽図に叶い三山鎮を作す”の地勢を示している。

 ・・・古墳内に描かれた四神図とともに墓地の地もまたぐるりを四神によって守護されているのである。

 引用・参照
・上原 和 『仏法東流 飛鳥・白鳳への道』 学生社 1985年