10-20 中国仏教史年表

10-20 中国仏教史年表

0025    後漢時代(25~220)

       この頃、仏教中国に伝わる
        楚王英の奉仏説(65)、明帝の求法説(67)など
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0148 後漢  パルティア(安息国)の安世高が洛陽にて小乗経典を翻訳
        「安般守意経(あんぱんしゅいきょう)」「陰持入経(おんじにゅうきょう)」「四諦経」
        「転法輪経」「八正道経」他、34部37巻
0150 後漢  クシャン朝(月氏国)の支婁迦讖が洛陽にて大乗経典を翻訳
        「道行般若経」「般舟三昧経」「首楞厳経」「無量清浄平等覚経」他、14部27巻
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0220    三国時代(220~265)
        魏(220-265)、呉(222-280)、蜀(221-263)
0222 呉   在俗の訳経家支謙は後漢末三国の混乱を避けて呉にわたり、孫権の保護を受けて訳業に従事
        「大明度経(般若経の異訳)」「阿弥陀経」「維摩詰経」他、36部48巻
0252 魏  康僧鎧(こうそうがい サマルカンド出身)が洛陽に来る
        「郁伽長者経」「大無量寿経」他、訳出
0260 魏  漢人僧朱士行(しゅしこう)「放光反般若経」を求めて西域于闐(うてん ホータン)に行く。
       「放光般若経」として291年に訳出される。
0260    老荘思想をかりて、格義仏教が起こる
0263    魏が蜀を滅ぼす。
0265    魏の将軍司馬炎が、魏を滅ぼし、晋(西晋 首都洛陽)を建てる。
0265 西晋 竺法護(239~316)が、敦煌より長安に来る。
        「光讃般若経」「正法華経」「維摩経」「十地経」「弥勒下生経」、
        など、154部309巻を訳出
0280    晋が呉を滅ぼし、中国を統一。
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0310    西域僧仏図澄(232~348)、洛陽に来る
        後趙の石勒・石虎に軍師として重用され、漢人の出家を公認させる
0316    東晋(316~420) 
        西晋、胡族の乱入で都長安を放棄(首都建康、建業を改称)
          東南に移って東晋となる

        五胡十六国時代(316-439) 五胡:匈奴、羯、鮮卑、氐、羌   
0350    中国で阿弥陀信仰・弥勒信仰・観音信仰がおこる
0379 前秦 道安(314~385)。前秦が襄陽を攻略、道安を長安に連れ去る
        格義仏教を排す 諸経典の註釈他、27巻著述
        行持を統一、僧制を更める。「綜理衆経目録」(道安録)を編纂
0366 敦煌 莫高窟の造営が始まる
0372 朝鮮 高句麗に仏教伝来
0384 朝鮮 百済に仏教伝来
0399    法顕(339~420)インドへ求法の旅(399~412) 
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0401 後秦 鳩摩羅什(くまらじゅう 340~409)が長安に来て、漢訳事業
      「大品般若経」「小品般若経」「妙法蓮華経」「阿弥陀経」「維摩経」「金剛経
      「弥勒大成仏経」「十地経」などの大乗経典
      「坐禅三昧経」「禅秘要法経」「禅法要解」などの禅経典
      「十誦律」「十誦比丘戒本」などの律典
      「中論」「百論」「十二門論」「大智度論」「成実論」などの論書
      「馬鳴菩薩伝」「龍樹菩薩伝」「提婆菩薩伝」などの伝記類
       など、74部384巻
0402 東晋 慧遠(334~416)が念仏結社(白蓮社)
      「沙門不敬王者論」「法性論」
    後秦 僧肇(そうじょう 374~414)
      「註維摩経」「宝蔵論」「般若無知論」「不真空論」「物不遷論」(「肇論」) 
0408 東晋 仏駄跋陀羅(ぶっだばっだら 359~429)が、長安に、後に建康へ(註1)
      「六十華厳経」「泥洹経(ないおんきょう)」「摩訶僧祇律
       他、13部125巻訳出
0409    道生(369~434)、頓悟成仏・闡提成仏を唱える
        頓悟成佛論、闡提成佛論「梵網経」「菩薩瓔珞本業経」成立
0410    仏陀耶舎(ぶっだやしゃ)が長安に来る
        「四分律」「長阿含経」他、訳出
0414 北涼 曇無讖(どんむしん 385~433)
        「涅槃経」(40巻) 414-421年訳出。北本涅槃経。
0414 東晋 法顕、インドから帰り「法顕伝」を著す
0420    宋(南朝 420~479)がおこる。南北朝時代(420~589)
0423    仏陀ブッダジーヴァ)来て、「五分律」訳出
0424 宋  西域の畺良耶舎(きょうりょうやしゃ 383~481)「観無量寿経」訳出
       インドの求那跋摩(ぐなばつま 377~431)が、建康に来る
        「菩薩善戒経」他、訳す
0430頃   「涅槃経」(40巻)が430年頃建康に伝わる。
0436    求那跋陀羅(ぐなばっだら 394~468)海を渡って建康に来る
       「勝鬘経」「楞伽経」など、52部134巻訳出
       慧厳・慧観・謝霊運ら、6巻本と対校し、36巻本とす。南本涅槃経。
0439    北魏 (439~534) 太武帝華北を統一
0444    北魏 大武帝による廃仏
        北魏寇謙之(363~448)は、五斗米道を改革して新天師道を創始し、
        太武帝の尊信を受けて、道教を国教とし (442)

、さらに太武帝に廃仏を行わせた。
0450 宋  この頃、沮渠京声「観弥勒菩薩上生兜率天経」を訳す
   朝鮮 新羅高句麗より仏教伝来
0454    曇曜、雲崗の五大石仏の開鑿を始める
0471    孝文帝(在位 471-499)の中国化成策
       鮮卑族の姓を漢人風に改変、鮮卑族の言語や服装の禁止など
0479    斉 (479~502)
0494    北魏、洛陽に遷都し、竜門の石窟を開鑿
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0502    梁 (502~557)
0504    梁の武帝道教を捨て仏教に帰依
0508 北魏 菩提流支(ぼだいるし ~527)洛陽に来る
       「金剛般若経」「入楞伽経」「浄土論」「十地経論」など、39部127巻訳出
       慧光、「十地経論」により地論宗をおこす
0529 梁  法雲(467~529) 光宅寺で大僧上 著書に『法華義記』8巻
0526 東魏 曇鸞、菩提流支に会い、仙経を焼き捨てて、浄土教に帰す(北魏北斉
0534    北魏 東魏(534-550) ・西魏(534-557)に分裂
0538 日本 百済聖明王から仏像・経巻を贈られる
      梁の武帝盂蘭盆会を始める
     菩提達摩(ぼだいたつま)が来て、禅を伝える
     安慧(スティラマティ)(510~570)
      「唯識三十頌釈」「中辺分別論釈」
      「大乗荘厳経論釈」「大乗中観釈論」「大宝積経論」
0542 東魏 曇鸞(どんらん)寂(67歳)
0548 梁陳 真諦(しんたい 499~569)548年に建康に来る。梁から陳にかけて、
      「金光明経」「倶舎論」「摂大乗論」「摂大乗論釈」「中辺分別論」
      「大乗起信論」など訳出

 

0550    東魏北斉 (550-577)
0507    西魏北周 (557-581)
0552    仏滅1500年を過ぎ、末法第1年に入る
0581    北インド・ネパール・唐から仏教や教典が入る
0589    隋(~618)が中国統一
0597 梁・隋 智顗(ちぎ)、天台山で寂(60歳)
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0610 唐  道綽(どうしゃく 562~645)48歳。玄忠寺で曇鸞の碑文を目にする。
0618    唐(~907)起こる
0629    玄奘、インド旅行(~645年)大唐西域記」経典76部1347巻を訳出
0625    義浄は671年から25年間渡印して、「根本有部律」を招来した

[禅宗関係]
弘忍(こうにん 602~675)、中国禅宗の五祖。
慧能(えのう 638~713)、中国禅宗の五祖。
荷沢神会(かたくじんね、 684~758)、荷沢宗の開祖。

(註1)
 インドの罽賓(カシミール)で中国僧の智厳と出会い、中国では正しい禅法を教化できる師を求めていることを聞き、中国行を決意する。長安では有力僧の排斥を受けて慧観らの門弟40名を伴って南へ逃れた。排斥の原因は、仏駄跋陀羅の持していた禅法と戒律が、鳩摩羅什の影響下にあった長安仏教界には受け入れられなかったことにあるとされる。廬山の慧遠のもとに落ち着き、禅法関係の経典を漢訳した。