「大乗の起源」を考える

「大乗の起源」の問題を考える

2007/5/28(月)


 大乗仏教の起源の問題は、単に仏教の歴史をどのよう見るかの問題ではなさそうだ。大乗仏教は仏説ではないという大乗非仏説に対して、大乗仏教もまた歴史的に実在した釈迦につながる仏教であることを照明するという実践的な課題に答えようとするものであった。

 明治以降、ヨーロッパを通じてインドの仏教の文献の研究成果が伝えられたり、東南アジアやスリランカ上座部仏教からの批判によって、大乗仏教が釈迦が直接説いた(金口)の教えを記録したものではないことが明らかになった。そこで大乗非仏説が唱えられるようになったのである。

 私が、このブログで論じようとしているテーマはこれらの問題と深く関わっている。『金剛般若経』や『小品般若経と』など大乗仏教の初期の経典といわれるものは出家教団の中枢にいた少数のエリートの出家者のグループによって制作された可能性が強いと考えられる。『阿弥陀経』や『法華経』の成立についても同様に考えられる。『法華経』に関しては、「周辺」の要素もある。「周辺」には、都市部の周辺、インド世界の周辺、在家の仏教者集団、などの意味がありうる。

 しかし、大乗仏教

 仏教の歴史には大きな改革運動が何度かあった。最初が、大乗仏教の登場、次が中国天台の成立、次が中国禅の成立である。しかし、改革運動が成功したといってもそれまでの流れがなくなるわけではなかった。そのたびに仏教は新しい要素を抱え込み、より複雑ではあるが豊かな流れとなってきたといえる。

 キリスト教プロテスタント宗教改革の運動であった。しかし、キリスト教プロテスタント一色になったわけではない。カトリックもこの改革運動に刺激され改革を行い、今日も大きな勢力として残っている。

 大乗仏教の興起も仏教史上の改革運動のひとつ、しかももっとも大きなものと位置づけることはできないだろうか。