31-14 無着(アサンガ)の伝記

31-14 無着(アサンガ)の伝記

2006/9/18(月)


■ アサンガ(無著)について

 〔第一子の〕ヴァスバンドゥ(世親)は〔もともと大乗の〕ボサツの資質をそなえた人であったが、やはりまた説一切有部において出家し、そのあと禅定を修めて、一切の欲望から離脱することができた。それから「空」の意義内容について深く考えに考えぬいたけれども、その完全な理解に入ることができず、〔絶望のあまり〕自殺して果てようと思いたった。

 〔小乗の聖者である〕ピンドーラアラカンは東のほうのヴイデーハ〔現在インドのビハール州北部〕にいたが、この様子をじっと見ており、かなたからかけつけてきて、かれのために小乗の「空」の考えを説いたところ、かれはその教えのとおりに「空」を観察して、直ちにその理解に入ることができた。

 〔こうしてかれは〕小乗仏教の説く「空」の考えを獲得したとはいえ 心のなかではなおまだそれに満足・安住するにいたらず、その深い理はこんなところに止まるはずのものであるまいといい、そこでこのような理由から、常人の及ばない神通力を現じ、それに乗じてトゥシタ(兜率陀)〔将来に仏となるボサッの住所、かつて釈尊もおり、いまは弥勅ボサツがいると信ぜられる〕天に昇って行き、そこを住所としているマイトレーヤ〔弥勤〕ボサツに教えを乞い、種々質問した。〔マイトレーヤは〕かれのために大乗の「空」の考えを説いた。

 かれは〔その説法を受けて〕再びインドの地に還ってきて、その説法にしたがってどこまでも深く考えに考えぬいているあいだに、ついにその深く考えているそのさなかに悟りを得ることができ、そのときには大地が六種に震動し、こうしてようやく大乗の説く「空」の考えを獲得することができた。このことにちなんで アサンガ(阿僧伽、訳せば「無著」)と名づける。

 〔アサンガは〕このあともしばしばトゥシタ天に昇って行って、マイトレーヤ大乗仏教の経の意義内容について訊ね問い、マイトレーヤはそれを広く解説して、アサンガはそのたびごとに得るところがあった。そしてこの地上に還ってきては、みずから聞いたところを人々に説明したけれども、それを聞いた人々はその多くがそれを信じようとしなかった。

 そこで無著法師はマイトレーヤにみずからつぎのような願を発した。
 「私はいま生あるものたちに大乗をのこらず理解して信ずるようにさせたいと望んでいます。マイトレーヤ大師よ、どうかこの地上におりてきてくださって、大乗を解説し、多くの生あるものたちにみな理解をともなった信を得るようにさせてくださることを、ひたすらお願いいたします。」

  マイトレーヤはそこで無著のこの願いを受けいれて、そのとおりに、夜になると、地上にくだり、大光明を放って、広く有縁のものたちを集め、説法の建物において『十七地経』〔現存の「瑜伽師地論」の最初の「本地分」に相当〕を口にとなえて説いた。そのようにして口にとなえて説いて行くたびごとに、その教義の内容を解説して、こうして四カ月間、毎夜を経過して、その「十七地経」の解説をすべて完了した。

  このときに、多くの人々はみな同じように一つの建物のなかでマイトレーヤの説法を聴いたさいに、ただひとり無著法師だけがマイトレーヤ・ボサツに近づくことができ、他の人々はただはるか遠くにその声を聞くことができたにすぎなかった。

 〔この間〕夜にはみな一緒にマイトレーヤの説法を聴き、昼のあいだは無著法師がさらに他の人々のためにマイトレーヤの説いたところを一つ一つ解釈して示した。これによって、この大勢の人々はみな大乗仏教マイトレーヤ・ボサツの教えを信ずるようになった。

 無著法師は〔マイトレーヤの教えた〕日光三昧(三摩提)〔禅定の究極のもの〕を実修し、マイトレーヤの説のとおりに学を修めて、ついにはこの禅定の三昧を獲得した。こうしてこの禅定の三昧によって、それ以後は、むかし理解の及ばなかったところまでもことごとく理解し通達することができるようになり、見たところも聞いたところもいつまでも記憶して忘れないようになった。

 仏がむかし説いた『華厳経』などの多くの大乗経典の全部が、いまだその意義内容が理解されないであったけれども、マイトレーヤはトゥシタ天〔に戻り、そこで、〕すべてを無著のために多くの大乗経典の意義内容について解説し、こうして無著法師はそれらをあわせてことごとくに通達して、みなよく記憶に止めて保持し、のちにインドのこの地において大乗経典のウパデーシャ(優波堤舎)をつくって、仏の説いた一切の大乗の教えを解釈した。

引用・参照
講談社学術文庫『世親』P43より