31-30 波羅蜜と「空」

31-30 波羅蜜と「空」

2006/10/25(水)


 波羅蜜はパーラミターの音写語である。パーラミターは「完成、極致」または「到彼岸」(彼岸に到ること)を意味する。初期仏教の修道規範である八正道(正見・正思惟・正語・正業・正命・正精進,正念・正定)に対比される。
 波羅蜜の語は、小乗仏教の文献にもすでに見られる。初期般若経に先行する経典に『六波羅蜜経』(現存しない)の成立があるが、この『六波羅蜜経』に至って、布施・持戒・忍辱・精進・禅定・般若の六波羅蜜の六項が確定される。

 この六項のうち、持戒・精進・禅定・般若の四項は、「さとり」を目指す自分ひとりに関わる実践であるのに対し、布施と忍辱の二項は必ず他者につながっている。ここに大乗仏教の最も重要なモティーフのひとつである「他者の発見」がある。

 その後、六波羅蜜のいわば平等な並列から、その最後に置かれた般若波羅蜜への格別な評価とそれへの集注が行われ、他の五波羅蜜のおのおのをこの般若波羅蜜が支え、裏づけるものとされるという大きな転換が行われる。

 般若波羅蜜とは、般若すなわち知慧の波羅蜜(完成)であり、また般若により、般若を内容とし、般若にもとづく波羅蜜(到彼岸)である。その般若とは「空」の思想であり、それの徹底が般若波羅蜜に他ならない。そしてこの般若波羅蜜が、布施波羅蜜以下のそれぞれにあまねく浸透し、例えば単なる布施を大乗の布施波羅蜜たらしめるのである。

 ここにあげた「空」の思想は、「般若経」に終始一貫して説かれている。一言で表すならば「こころにとどめつつも、とらわれるということがない」「とらわれない」「無執着」と解される。

 したがって、たとえば布施は、AがBにCを布施するという、施者と受者と施物との三つから成立するが、その布施が「空」の思想の徹底した般若波羅蜜に裏づけられると、右の三つはいずれも「空」であり、執着は消えて、施者においては、布施した相手の受者にも、布施した施物にも、いっさいとらわれない、という在り方の布施波羅蜜が実現される。これを「三輪清浄」(サンリンショウジョウ)という術語で呼ぶこともある。これが他の波羅蜜に関しても、同じことが言えるのである。