仏教と出家の生活

仏教と出家の生活

2013/8/23(金)

 

 ブッダの時代においては、出家者は共同生活を営んでいた。出家者の共同生活では朝の托鉢で得た食べ物を全員が平等で分け合って食べ、食べ物が残っても貯蔵はしない。私はこの共同生活がある時代の人間の生活に酷似しているのに気がついた。狩猟採集時代の村の生活である。

 農業や牧畜を始める前の人類は、狩猟採集で生活を支えていた。周りの森に定期的に狩猟に行き、獲物を得る。獲物は村人の間に常に平等に分けられる。いまでもアフリカや南米アマゾンの奥地には狩猟採集生活を営んでいる村がある。

 アマゾンの村の場合、言葉にその生活文化が反映しているのが分かる。先ず、二つ三つまでしか数えられない。つまり、数詞が未発達である。また、未来や過去を現す表現、つまり時制がない。

 しかし、これは彼らの能力が低いからではない。彼らは森の動植物を悉く知っている。数詞が未発達と言うことは、貯蓄をする習慣がないからである。また、時制の表現がないのは、「今に生きている」からである。周りの森林からの恵みが十分で季節の変動もほとんどないから貯蓄の必要も明日の生活の煩いもない。日々を自然の恵みに感謝しながら生きている。

 ブッダの悟りがなんであったかはこの狩猟採集生活にヒントがあると考える。