古代インドの暦とインダス河

古代インドの暦とインダス河

2013/9/5(木)

 

 最初のヴェーダである『リグ・ヴェーダ』の時代、インドにはなぜか暦は発達しなかった。太陰暦が主で太陽暦の一年に合わせて閏月をいれていた。インドでは本格的な暦が作られるようになったのは紀元後5世紀になってからである。

 紀元前1500年頃から、イラン方面からカイバル峠を越えてアーリア人が侵入してきてインダス河の上流域のパンジャーブ地方に住み着いた。アーリア人はそこでそれまでの牧畜に加えて麦作などの農業を始めたとされる。

 なぜ古代インドでは暦が発達しなかったのか。古代エジプトではシリウスの観測によって洪水の始まりを知るしかなかった。この地帯はモンスーン地帯である。インドでは雨は自分たちの頭の上から降ってくる。インドにおいても農業は氾濫農法であった。氾濫期には水を耕地に引き込み、水が引いた後に麦の種を播くという農法である。インダス河の氾濫は雨期とともに始まる。雨の降り始めが雨期の始まりである。雨期と乾期で一年が一回りする。農業をやるにも特別な暦はなくても困らないのである。

 パンジャーブというのは五河という意味である。これからわかるように、インダス河のいくつもの支流で地域が分断されていた。雨の降り始め、洪水の起こり具合は地域地域によって異なっていたと考えられる。農作業の開始時期の判断はそれぞれの地域に任せた方が合理的であろう。

 インダス文明においてもアーリア人の社会に於いても強大な王権が成立しなかったのは、特有の地形のためであっただろう。さらに、氾濫農法には大規模な治水や灌漑の工事も不要である。これも強大な王権を不要とした理由であろう。