43-14 春霞と朧月

43-14 春霞と朧月

2006/3/26(日)


 菜の花畠に入日薄れ 見渡す山の端霞深し
 春風そよ吹く空を見れば 夕月かかりて匂い淡し

 里わの灯影も森の色も 田中の小道を辿る人も
 蛙の鳴く音も鐘の音も さながら霞める朧月夜

  文部省唱歌『朧月夜』(高野辰之作詞)の歌詞である。一番には「見渡す山の端霞深し」、二番には「さながら霞める朧月夜」というように、「霞(かすみ)」と「朧(おぼろ)」という言葉が出てくる。『桜』にも「かすみか雲か」というように「かすみ」が出てくる。

 霞:「空気中に浮遊するごく小さな水滴・ちりなどのために、遠くのものがはっきり見えなくなる現象。また、そのために、山腹などに帯状に見える薄雲のようなもの。普通、春のものをいう。」
 朧:「ぼうっと薄くかすんでいるさま。春の夜についていうことが多い。」
 いずれも春の季語である。(三省堂提供「大辞林 第二版」より)

 霞がたなびく山里の風景、菜の花畑の向こうの朧な月は日本人の心象風景に溶け込んでいる。

 ところがである。わが家の薄墨桜が開花して、八分咲きぐらいになった。三月の雨上がりの空が美しい。真っ青に澄んでいる。咲いた桜の枝越しに見るとなお澄んで深い。限りなく深い。秋の柿の実越しに見た空は青く澄んでいたが、限りなく高かった。

 春霞の原因の多くは、中国大陸から飛来する黄砂である。西安からウルムチに向かう飛行機の眼下に広がっていた広大なゴビ砂漠やさらに西のタカラマカン砂漠から舞い上がった細かい砂が偏西風に乗って日本にまで届く。三月はこの黄砂現象がまだ少ない。一雨降ると大気中の埃も洗われる。桜の開花時期が早くなって、三月に満開を迎えるようになると、季節感にも影響を及ぼすのではないか。

 この空の「青」をどのように表現したらよいのか。やはり、「ラピスラズリ」の青色を思い出してしまう。ラピスラズリの原石から作られた顔料が敦煌の石窟でも使われていた。今は、合成が可能で、「ウルトラマリン」というのがそれである。日本語ではその青色を群青色という。群青色は「鮮やかな藍青色」と説明されている。どうもぴったりこない。「紺碧の空」という言葉があったことを思い出す。紺碧は「深みのある濃い青色」である。こちらのほうがあっているように思われる。