200-25-07 ねがわくは花の下にて・・・ 旧暦と新暦

 忠臣蔵の討入が行われたのは元禄15年12月14日である。江戸は一面に雪に覆われ、雪の中の討ち入りのシーン、首尾を遂げて泉岳寺に向かうシーンは印象的である。ところが現代では12月の東京に大雪が降るのは稀なことである。

 冬の気圧配置が典型的な西高東低の形をとったとき、北陸には大雪が降る。気象衛星ひまわりの画像をみると、大陸からの季節風日本海を越えて日本列島に向かって吹き出しているのが何本も出ている筋条の雲によってわかる。こんなとき、関東には雪は降らない。日本海で吸い上げた水蒸気は雪となって日本海側の山里に降る。軽くなって山を越えた季節風関東平野を吹き荒れる。

 2月になると、西高東低の季節配置が崩れ、移動性の低気圧が西から東へと定期的に移動し始める。この低気圧が関東のはるか南を通ると東京は雨に、関東に接近したコースを通ると、北から冷たい空気を呼び込んで雪になる。このときの雪は湿気を帯びた重い雪となる。

 討ち入りが行われたという12月14日はもちろん旧暦である。新暦に直すと1月30日になる。2月の雪というと、戦前の話になりますが、二・二六事件は雪の中でのことであった。また、学生時代に建国記念日が制定されましたが、第一回の記念日である2月11日も東京は雪だった

 西行といえば「ねがはくは花のもとにて春死なむ そのきさらぎの望月の頃」という句がよく知られている。釈迦が涅槃に入ったとされる「きさらぎの望月」のころに「死なむ」と西行は詠んだのである。きさらぎ(如月)は2月、望月は満月のことで旧暦の15日のことである。西行が亡くなったのは73歳。1190年の旧暦2月16日のことである。願いがかなった死である。その「きさらぎの望月」は新暦でいうと3月29日ななり、桜が開花する時期である。
 
 さらに時代をさかのぼろう。聖徳太子が亡くなったのがやはり2月の12日。聖徳太子の後半生は政治の第一線から退き、斑鳩の宮で仏教の注釈書の撰述に専念していた。そして2月の死。暗いイメージが付きまとう。しかし、旧暦の2月12日は新暦でいうと4月9日にあたるという。桜が満開をすぎて盛んに散り始めているときである。これは、上原和さんの本で知った。