200-25-26 槿(むくげ)

25-26 槿(むくげ)

2006/6/5(月)


 槿(むくげ)が咲いている。芙蓉やハイビスカスと同じ葵科に属する花だが、地味な花である。芭蕉に木の句がある。

 道の辺の木槿(むくげ)は馬に食はれけり

 立石巌氏はこの句について次のように解説している(『西行世阿弥芭蕉--自殺者の系譜』)。

 昔さむらいであった芭蕉には、馬に乗ることは旅の嬉しさの一つであったかもしれない。と、馬がぱくりと道ばたの槿を食べた。・・・咲いていた槿がぱっと失せた。槿はおそらく白であったろう。・・・
 槿には、「槿花一朝の夢」の語が隠されている。いや、白居易の「槿花一日自ら栄をなす」の詩もあったかもしれない。その瞬間を目にした芭蕉は、これまでにない素朴さで木槿を歌い上げ・・・。
 それまでは古人の作品に引きずられる形で作句してきたのだが、ここで自分の生んだ句が対等に並んだのである。

 立石巌氏のこの句の捉え方は鮮烈な印象を与える。私もこの一文を読んでからは毎年この季節になると句を思い出すことになった。ところで、槿の枝は繊維が非常に強い。花の咲いている一枝を折り取ることはできない。花泥棒にはまことに不粋な花である。

 「馬がぱくりと道ばたの槿を食べた。・・・咲いていた槿がぱっと失せた。槿はおそらく白であったろう。」
 
 馬の一口で、白い槿の花がぱっと消えた。しかし、そこには花と葉が馬の歯によってむしりとられた槿の枝が残ったに違いない。その枝は芭蕉にはどのようにみえたのか。

 消えた花と残った枝。槿の花は芭蕉にとって伝統の象徴に見えたに違いない。残った枝を見て、芭蕉は悟ったに違いない。伝統からきっぱりと離別する必要はない。伝統から離別しようとしても、それは不可能である。伝統はこの槿の枝の残滓のようにしつこく残る。それでよいのではないか。芭蕉の悟りはそのようなものではなかったのか。
(2007/05/09に加筆)