200-25-17

25-17 お彼岸と祖霊信仰

2006/3/10(金) 午前 2:04 --25 仏教と日本文化 歴史

facebookでシェア
twitterでつぶやく


 まもなく、春分の日がくる。春分の日を中心として前後一週間が彼岸である。春分の日は太陽が真西に沈む。そういえば、三月に入ってから夕日がなぜか美しい。晴天の西の空の端まで来た太陽は突如大きくなって真っ赤に輝いたかと思うと、伊吹山の向こうに一気にしずんでゆく。

 わが家では春分の日には墓参りをする。といっても、私はこの日は、奈良や京都に行くことが多い。春分の日や、秋分の日の朝日や夕日に照らされる寺院や仏像を見たいからである。ご先祖様には申し訳ないことだが行き先が寺社であるから許していただけるだろう。

 ところで、お彼岸はお盆と並ぶ日本の代表的な仏教行事である。にもかかわらず、その由来は明らかとはいえない。仏教以前から行われていた太陽を崇拝する農耕儀礼が仏教行事と結びついたようである。平安時代に貴族の間で始まり、鎌倉時代には武士の間にも広がった。江戸時代になって、日本古来の先祖を祀る祖霊信仰と習合した仏教行事として民衆の間に定着した。


「祖霊信仰」については下記の引用を参照してください。

 6世紀の初期から受容されはじめたといわれる仏教は、6世紀前半にかけて、いわゆる飛鳥仏教として根をおろした。仏教は、(中国)伝来の信仰と、(日本)固有の祖先崇拝と癒着することによって信仰を集めた。

 「七世父母に回向(えこう)」これは中国六朝のの外来のもの。しかし我が国では、祖霊の概念となる。民族信仰の祖型として抽出されている死霊と祖霊の関係は、死者の霊魂は一定の期間中はそれぞれ生前の個性を保って近親者に臨むが、一定の期間を過ぎると個性を失い、漠然とした死者霊の没個性的な習合体としての、いわゆる祖霊に組入られ、ただご先祖さんと呼ばれる存在となる。子孫の生活を見守り、その繁栄を保証する一種の神性に昇華し、事あるごとに子孫のもとに訪れ、子孫によって回想されるという関係である。・・・・・

 我が国の民族信仰の全般をしめる祖先崇拝、その中核をなす祖霊の観念は、きわめて複雑な様相をもっている。祖霊とは、「ご先祖さん」という言葉に集約するように、祖先の霊の漠然とした没個性的な習合体で、死者霊としての性格もなくなり、ただ子孫の生活を見守る一種の神性といえる。すなわち、現実には山林と水田に依拠する村落生活のなかでは、祖霊は同時に山の神であり、田の神、歳の神等として表象される。これが子孫の繁栄を保証するという神性を具体化する。一方では、盆行事や祖霊祭が示すのは、時を定めて子孫を訪れる祖霊がいることで、これは純粋な神性とはいえない面をもつ。つまり精霊的形式である。

引用・参照文献
 高取正男著 『固有信仰の展開と仏教受容』