200-25-13

No.13 室戸岬と『濤声(とうせい)』

2006/10/25(水)

※再録

 朝まだ暗いうちにホテルを抜け出した。海から昇る日の出の写真を撮るためである。二月末であったが室戸岬の海岸に吹き付ける風は寒くはなかった。室戸岬空海の修行したところである。徳島に用事ができた折に室戸岬まで足を伸ばした。翌日は高知へ周る予定である。『空海の風景』と『竜馬が行く』の二つの小説に関わる地を訪れることになる。

 岬の少し東に曲がりこんだ崖に御厨人窟(みくろど)がある。若き空海が激しい修行をしたといわれる洞窟である。御厨人窟の近くの海岸の岩の一つに座り込む。昨日岬を一回りしたが見慣れた伊勢湾の海岸とは様相が異なる。海岸にはガジュマルのような木が茂る。岬の山の木は強い風のため刈り込まれたように高さが揃っている。

 その日は雲が多く朝日を見ることはできそうもないことがわかった。岩場に押し寄せる波を見ているうちに突如ある情景が浮かんだ。空海御厨人窟で修行していたとき、明けの明星が口の中に飛び込んでくる経験をしたという。私の場合は、簡単な疑問が解けたにすぎない。

 室戸岬を訪れる数年前に、奈良の唐招提寺を訪れたことがある。一月の寒い時期だったが、鑑真和上坐像と御影堂が公開された。鑑真和上像は中国へ帰国したことがある。その何周年になるかということで公開されたのである。鑑真和上像の生々しさには驚かされた。しかし、より驚いたのは、建物のふすま一杯に描かれた東山魁夷画伯の障壁画である。
 
 和上像のある部屋一杯に描かれたのは、海岸に波が押し寄せる風景である。『濤声』と名づけられている。どこか不安であるが、未来への希望も感じさせてくれる。不思議な感慨にとらわれる。さらに不思議なのは、激しい波が描かれているのに静寂が支配している。なぜだろうか。

 室戸岬で波を見ているうちにその謎が解けた。波は激しく押し寄せる。押し寄せて岩場に上る。静寂は上った波が引き始める瞬間に訪れる。『濤声』はその瞬間をとらえたのだ。