11-12 「般舟三昧」の二つの意味

 11-12 「般舟三昧」の二つの意味

 

 「般舟三昧」の原サンスクリット名は『般舟三昧経』のチベット訳から知ることができる。その意味は、
(1)現在諸仏の面前に立つひと(菩薩・行者)の三昧
(2)菩薩・行者の面前に現在諸仏が立つ三昧
の二通りに解することができる。

 いずれも「三昧」の中でのできごとだが、(1) の場合は、諸仏のところまで「行く」のであり、(2) の場合は、諸仏が行者のところまで「来る」のである。

 『般舟三昧経』のチベット訳のコンテキストからすると、この意味は(1)の意味、つまり、行者自身は身を動かすことはないが、三昧のなかで諸仏の国に連れて行かれて面前に立つ、という意味である。他方、支婁迦讖(しるかせん)の漢訳である三巻本の『般舟三昧経』は「現在(諸)仏悉在前立三昧」(現在の諸仏が悉く(菩薩・行者)の前に立つ三昧)と訳していて、(2)の意味に拠っている。実は、中国・日本の伝統的な解釈ではこの(2)の意味をとっている。サンスクリット語としては(1)の意味の方が自然であり、またチベット訳の裏づけもあるが、中国・日本では一般的に(2)の解釈に従って来たということである。

 中国・日本における三昧の解釈にはもう一つの特色がある。たとえば親鸞(1173~1262年)は、29歳のときに比叡山を下りるまでは常行三昧堂の堂僧であったといわれる。この常行堂は叡山の横川にあった。般舟三昧は常行三昧とも呼ばれている。


 中国天台宗の開祖である智顗(538~597年)はその著『摩訶止観(まかしかん)』のなかで三昧を常坐・常行・半行半坐・非行非坐の四種に分けている。そのうちの常行三昧が般舟三昧にあたるのであるが、これを説明していう。
 「この法は般舟三昧に出でたり。翻(訳)して仏立(三昧)となす。・・・よく定中において十方の現在の仏その(行者の)前に在して立ちたもうを見立てたてまつること、明眼の人の清夜に星を観るがごとく、十方諸仏を見ることもかくのごとくに多し、ゆえに仏立三昧と名づく。」と。

 またこの三昧を説明していう。
 「九十日、身に常に行で休息することなく、九十日、口に常に阿弥陀仏の名を唱えて休息することもなく、九十日、心に常に阿弥陀仏を念じて休息することなかれ・・・要をあげてこれをいわば、歩歩、声声、念念、ただ阿弥陀仏にあり」と

 中国浄土教を確立し、日本の法然が「ひとえに依った」善導(613~681年)はその『般舟讃』のなかで「般舟三昧楽とはこれ何の義ぞや。答えて曰く。梵語には般舟と名づく。ここには翻じて定行道と名づく。あるいは七日、九十日、身行無間なるを総じて三業無間(身・口・意の三種の修行を絶え間なく行うこと)と名づく。ゆえに般舟と名づくるなり」といっている。

 「般舟」を「立つ」の意味に解釈するのにはまったく理由がないわけではない。・・・「行く」「経行」については、『般舟三昧経』そのもののなかにこのような解釈を可能にする文章がある。「四事品第三」には般舟三昧を獲得するのに必要な心がけを四条ずつあげているのだが、そのうちの一つに

 「また四事ありて疾くこの三昧を得。一には世間の思想、弾指の頃のごときも有ることを得ざること三月なり、二には睡眠を得ざること三月、弾指の頃のごときもなり。三には経行して休息することを得ず、(坐し得ざる)こと三月なり。その飯食(ぼんじき)左右を除く。四には人のために経を説いて人の供養を望むことを得ず。これを四となす」といっている。

 このうちの第三条にいう経行は修行の一つとして静かに歩むことであるから、般舟三昧が常行三昧と解されるのも無理はない。

参照・引用
・梶山雄一『浄土仏教の思想』二 観無量寿経・般舟三昧経 p240~