10-04 隋・唐の仏教

10-04 隋・唐の仏教


■ 隋の仏教 (581~619年)

 隋は後漢(25~220年)以来360年ぶりに中国を統一した(581年)。隋の皇帝みずから熱心な仏教帰依者であり、仏教は積極的に保護された。阿弥陀仏浄土信仰の新たな展開があり、法華経を重んじた天台宗の天台大師智顗(ちぎ)、三論宗の吉蔵など名僧が輩出した。

 天台大師智顗(538~597年)は、南岳慧思禅師に師事し、法華経と龍樹の中観教学から天台宗の教義を体系づけ、陳と隋の皇帝の帰依を得た。吉蔵(549~623年)は、南朝末期から隋、唐にかけて活躍した僧侶。三論(龍樹の『中論』『十二門論』、提婆の『百論』)の教学を大成した学僧。三論やその所依の経典だけでなく、『法華経』や『華厳経』などの大乗経を講讃し注釈書を著した。隋の煬帝に召されて揚州や長安に召され活動した。


■ 唐の仏教 (618~907年)

 唐の時代、仏教は全盛をきわめた。玄奘三蔵は、西域やインドへの遊学し、膨大な仏典をもたらした。76部1335巻に及ぶ経典を漢訳し、その忠実な逐語訳は(新訳)と称されている。隋の時代に引き続き、生活に密着した実践的な宗教として中国独自の仏教が形成された。浄土教道綽と善導、南山律宗道宣法相宗玄奘禅宗慧能華厳宗の法蔵、密教の善無畏と不空などのすぐれた人物が輩出した。

 三蔵法師玄奘(602~664年)は、『倶舎論』『摂大乗論』などを学んだのち、仏教修学でおこった疑問点をインドの原典に基づいて研究しようと独力で629年に長安からインドに向かった。遊学の主な目的は唯識のインドの原典を求めた旅行といえる。唐の法律では国外への旅行が禁止されていたが、国禁を犯しての遊学である。

 シルクロードを通り現在のアフガニスタンからインドに入り、中インドのナーランダー寺院にて唯識説を学び、更にインド各地の仏跡を訪ねた。仏像8体・仏舎利150粒、梵本(サンスクリット原典)657部を携えて、645年に長安へ帰った。帰国後、『大般若経』600巻をはじめ76部1347巻を漢訳した。玄奘三蔵の新訳経論に依拠して法相宗倶舎宗が興った。

引用・参照
http://www.kosaiji.org/Buddhism/china.htm